主の選びの器

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主の選びの器

16章
<15 そこで女はサムソンに言った、「あなたの心がわたしを離れているのに、どうして『おまえを愛する』と言うことができますか。あなたはすでに三度もわたしを欺き、あなたの大力がどこにあるかをわたしに告げませんでした」。 16 女は毎日その言葉をもって彼に迫り促したので、彼の魂は死ぬばかりに苦しんだ。 17 彼はついにその心をことごとく打ち明けて女に言った、「わたしの頭にはかみそりを当てたことがありません。わたしは生れた時から神にささげられたナジルびとだからです。もし髪をそり落されたなら、わたしの力は去って弱くなり、ほかの人のようになるでしょう」。>

<28 サムソンは主に呼ばわって言った、「ああ、主なる神よ、どうぞ、わたしを覚えてください。ああ、神よ、どうぞもう一度、わたしを強くして、わたしの二つの目の一つのためにでもペリシテびとにあだを報いさせてください」。 29 そしてサムソンは、その家をささえている二つの中柱の一つを右の手に、一つを左の手にかかえて、身をそれに寄せ、 30 「わたしはペリシテびとと共に死のう」と言って、力をこめて身をかがめると、家はその中にいた君たちと、すべての民の上に倒れた。こうしてサムソンが死ぬときに殺したものは、生きているときに殺したものよりも多かった。 31 やがて彼の身内の人たちおよび父の家族の者がみな下ってきて、彼を引き取り、携え上って、ゾラとエシタオルの間にある父マノアの墓に葬った。サムソンがイスラエルをさばいたのは二十年であった。>士師記 16章15~17節、28~31節

【「わたしはペリシテびとと共に死のう」と言って、力をこめて身をかがめると、家はその中にいた君たちと、すべての民の上に倒れた。こうしてサムソンが死ぬ時に殺した者は、生きているときに殺したものよりも多かった。】(士師記16章30節)

 今朝も、み言葉に聴いて参りましょう。今日は士師記からサムソンについてのみ言葉を取り上げましたが、先ずは士師記がどのような書であるかということについて、み言葉に聴いていきたいと思います。
士師記はヨシュアの死後のイスラエルの民について書かれた、書物であります。ヨシュアは、モーセのあとに立てられた指導者でありました。ヨシュア記1章5~7節(旧約301頁)
【5 あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。 6 強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。 7 ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。】
というように、神様の約束と励ましによって、強く雄々しく進んだ人でありました。ヨシュアの指導のもとに、イスラエルの民は信仰に歩み、約束の地を獲得していきました。主がいつも共に居られ、彼らは勝利の歩みを続けることができました。
そしてヨシュアの死後、カナン人との戦いはイスラエルの民に引き継がれました。彼らは、ヨシュアの死後も神様に従ってカナン後の先住者を滅ぼし、あるいは追い出さなくてはなりませんでした。しかし彼らはそれをしなかったのです。
士師記1章27~34節(339頁)にあるように、
【27 マナセはベテシャンとその村里の住民、タアナクとその村里の住民、ドルとその村里の住民、イブレアムとその村里の住民、メギドとその村里の住民を追い出さなかったので、カナンびとは引き続いてその地に住んでいたが、 28 イスラエルは強くなったとき、カナンびとを強制労働に服させ、彼らをことごとくは追い出さなかった。
29 またエフライムはゲゼルに住んでいたカナンびとを追い出さなかったので、カナンびとはゲゼルにおいて彼らのうちに住んでいた。
30 ゼブルンはキテロンの住民およびナハラルの住民を追い出さなかったので、カナンびとは彼らのうちに住んで強制労働に服した。
31 アセルはアッコの住民およびシドン、アヘラブ、アクジブ、ヘルバ、アピク、レホブの住民を追い出さなかったので、 32 アセルびとは、その地の住民であるカナンびとのうちに住んでいた。彼らが追い出さなかったからである。
33 ナフタリはベテシメシの住民およびベテアナテの住民を追い出さずに、その地の住民であるカナンびとのうちに住んでいた。しかしベテシメシとベテアナテの住民は、ついに彼らの強制労働に服した。
34 アモリびとはダンの人々を山地に追い込んで平地に下ることを許さなかった。】

 このように、彼らはカナン人と共に住むようになったのです。そのようなイスラエルの人々のもとに主の使が現れ、次のように告げました。2章1~3節。
【1 主の使がギルガルからボキムに上って言った、「わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの先祖に誓った地に連れてきて、言った、『わたしはあなたと結んだ契約を決して破ることはない。 2 あなたがたはこの国の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇をこぼたなければならない』と。しかし、あなたがたはわたしの命令に従わなかった。あなたがたは、なんということをしたのか。 3 それでわたしは言う、『わたしはあなたがたの前から彼らを追い払わないであろう。彼らはかえってあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたのわなとなるであろう』と」。】
 ヨシュア記が信仰に歩むイスラエルの物語であれば、士師記は不信仰に陥り、神様を裏切り堕落していくイスラエルの物語であります。
異教徒との交わりによって、彼らの神を仰ぐようになったイスラエルは、主なる神様を捨て、異教の神々にひざまずくようになりました。そこで神様は近隣の敵国にイスラエルを苦しめることを許されました。イスラエルの民は、敵に虐げられ苦しみの中で神様を呼び、助けを求めます。神様は士師=裁き司を立ててイスラエルを救われます。イスラエルの民は、士師が生きている間は神様に従って歩みますが、士師が死ぬと、また不信仰な生活に陥っていく。そこで神様が敵を起こされる、民が救いを求めるという堂々巡りの中で、人々はどんどん堕落していったのです。

 その経緯は、聖書の中に要約されています。少し長くなりますが拝読します。2章11~21節
【11 イスラエルの人々は主の前に悪を行い、もろもろのバアルに仕え、 12 かつてエジプトの地から彼らを導き出された先祖たちの神、主を捨てて、ほかの神々すなわち周囲にある国民の神々に従い、それにひざまずいて、主の怒りをひき起した。 13 すなわち彼らは主を捨てて、バアルとアシタロテに仕えたので、 14 主の怒りがイスラエルに対して燃え、かすめ奪う者の手にわたして、かすめ奪わせ、かつ周囲のもろもろの敵の手に売られたので、彼らは再びその敵に立ち向かうことができなかった。 15 彼らがどこへ行っても、主の手は彼らに災をした。これは主がかつて言われ、また主が彼らに誓われたとおりで、彼らはひどく悩んだ。
16 その時、主はさばきづかさを起して、彼らをかすめ奪う者の手から救い出された。 17 しかし彼らはそのさばきづかさにも従わず、かえってほかの神々を慕ってそれと姦淫を行い、それにひざまずき、先祖たちが主の命令に従って歩んだ道を、いちはやく離れ去って、そのようには行わなかった。 18 主が彼らのためにさばきづかさを起されたとき、そのさばきづかさの在世中、主はさばきづかさと共におられて、彼らを敵の手から救い出された。これは彼らが自分をしえたげ悩ました者のゆえに、うめき悲しんだので、主が彼らをあわれまれたからである。 19 しかしさばきづかさが死ぬと、彼らはそむいて、先祖たちにまさって悪を行い、ほかの神々に従ってそれに仕え、それにひざまずいてそのおこないをやめず、かたくなな道を離れなかった。 20 それで主はイスラエルに対し激しく怒って言われた、「この民はわたしがかつて先祖たちに命じた契約を犯し、わたしの命令に従わないゆえ、 21 わたしもまたヨシュアが死んだときに残しておいた国民を、この後、彼らの前から追い払わないであろう。】
 ヨシュアが死んだときに残しておいた国民とあります。それは、言わば主が与えられたテストでありました。続く2章22~23節
【22 これはイスラエルが、先祖たちの守ったように主の道を守ってそれに歩むかどうかをわたしが試みるためである」。 23 それゆえ主はこれらの国民を急いで追い払わずに残しておいて、ヨシュアの手にわたされなかったのである。】
主は、私たちが自発的な意志によって、主への愛によって従うことを求めておられます。エデンの園のアダムからずっと、主は私たちとの愛の交わりを求めておられます。主をお慕いするが故にみ心に従う、そのような民の服従を求めておられます。しかし民は主を裏切り続けたのです。

 そのような、負のスパイラルとも言うべき士師の物語には、12人の士師が記されています。オテニエル、エフデ、シャムガル、デボラ、ギデオン、トラ、ヤイル、エフタ、イブツァン、エロン、アブドン、サムソンの12人ですが、彼らは敵と戦いイスラエルを救った大士師と、裁きを専らとした小士師が居りました。
 サムソンは大士師(オテニエル、エフデ、デボラ、ギデオン、エフタ、サムソン)の中でも最も有名ですが、ある意味不思議な人であります。
以前読んだ書物の中で、ある人が「サムソンって一体どんな手を使って、士師なんて役に就けたんだい」と書いていて、笑ってしまったのですが、聖書のことを知らないその著者は、士師を大統領か何か、立身出世して射止める地位のように思ったのでしょう。こんな男が、どうして士師という重要なポストに就いたのか、何か策を弄してのことなのかと、思ったのでしょう。確かに、サムソンの生き様は八方破れというか、心の赴くままに暴れまわり、女にうつつを抜かして悲劇的な死を迎えた人でした。もし私が同時代に生きていたら、ならず者と思ったかもしれません。サムソンは士師の勤めである裁き人としての任務も、民を救うという任務も果たし得たのでしょうか。しかしサムソンは神様によって立てられた士師であり、ヘブル書では信仰によって偉業を成した人に数えられています。へブル人への手紙11章32節~(新約356頁)をお読みします。

【32このほか、何を言おうか。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル及び預言者たちについて語り出すなら、時間が足りないであろう。 33彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、 34火の勢いを消し、つるぎの刃をのがれ、弱いものは強くされ、戦いの勇者となり、他国の軍を退かせた。】

 サムソンはどのような意味で選びの器であり士師であったのか、先ず、そのことをみ言葉に聴いていきたいと思います。そこでお断りしておかねばならないのですが、ただいまお読みいただいたみ言葉に、今日中にたどり着くのは無理なようです。今日はその前段階の部分を、み言葉に聴いて参ります。

 サムソンの誕生は、次のようなものでした。士師記13章1節(旧約358頁)
【イスラエルの人々がまた主の前に悪を行ったので、主は彼らを四十年の間ペリシテびとの手にわたされた。】
イスラエルの人々の罪によって、主は彼らを40年間ペリシテ人の手に渡されたとあります。そのようなときにサムソンは誕生しました。13章2~5節。
【2 ここにダンびとの氏族の者で、名をマノアというゾラの人があった。その妻はうまずめで、子を産んだことがなかった。 3 主の使がその女に現れて言った、「あなたはうまずめで、子を産んだことがありません。しかし、あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。 4 それであなたは気をつけて、ぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。 5 あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。その頭にかみそりをあててはなりません。その子は生れた時から神にささげられたナジルびとです。彼はペリシテびとの手からイスラエルを救い始めるでしょう」。】

 ダン人の氏族の者でマノアという人の妻のもとに、主の御使が現れました。彼女は石女で、子どもを産んだことがありませんでした。サムエル、バプテスマのヨハネもそうでしたが、石女であった女に主が働かれて子を生す、そこには主の大いなるみ力、み心がありました。
生まれる子どもは、生まれた時から主に捧げられたナジル人であるから、あなたもぶどう酒や濃い酒を飲んではならない、汚れたものを食べてはならないと告げられます。
 13章3節のナジル人とは、民数記6章2~8節(191頁)に、

【2 「イスラエルの人々に言いなさい、『男または女が、特に誓いを立て、ナジルびととなる誓願をして、身を主に聖別する時は、 3 ぶどう酒と濃い酒を断ち、ぶどう酒の酢となったもの、濃い酒の酢となったものを飲まず、また、ぶどうの汁を飲まず、また生でも干したものでも、ぶどうを食べてはならない。 4 ナジルびとである間は、すべて、ぶどうの木からできるものは、種も皮も食べてはならない。
5 また、ナジルびとたる誓願を立てている間は、すべて、かみそりを頭に当ててはならない。身を主に聖別した日数の満ちるまで、彼は聖なるものであるから、髪の毛をのばしておかなければならない。
6 身を主に聖別している間は、すべて死体に近づいてはならない。 7 父母、兄弟、姉妹が死んだ時でも、そのために身を汚してはならない。神に聖別したしるしが、頭にあるからである。 8 彼はナジルびとである間は、すべて主の聖なる者である。】

 とあるように、主に特別の誓願を立てた男女のことであります。彼らはぶどう酒と濃い酒を断ち、ぶどう酒や濃い酒の酢となったものを飲まず、ぶどうの汁、一切のぶどうの木にできたものを食べてはならず、髪の毛を伸ばし続けなくてはなりません。それは、主の聖なる者として聖別された証しなのであります。
 主の御使は、最後に「彼はペリシテ人の手からイスラエルを救い始めるでしょう」と告げました。これこそ、主がサムソンに与えた使命でありました。ペリシテ人との戦いの端緒を開く、先駆者となることがサムソンに与えられた使命だったのです。
サムソンは成長し、主は彼を恵まれた、と士師記13章24節にあります。そして14章1~2節。

【1 サムソンはテムナに下って行き、ペリシテびとの娘で、テムナに住むひとりの女を見た。 2 彼は帰ってきて父母に言った、「わたしはペリシテびとの娘で、テムナに住むひとりの女を見ました。彼女をめとってわたしの妻にしてください」。】

 ペリシテ人の娘を見初め、結婚したいと望みます。父母は当然の如く反対し、身内の娘と結婚すべきだというのですが、彼はききません。そのことについて、み言葉は14章4節に

【4父母はこの事が主から出たものであることを知らなかった。サムソンはペリシテびとを攻めようと、おりをうかがっていたからである。そのころペリシテびとはイスラエルを治めていた。】
 
 とあります。父母はこのことが主から出たものであることを知らなかった。つまり、サムソンのわがまま、イスラエルの民として、ナジル人としての立場をわきまえない振る舞いは、主から出たものであったというのです。
このみ言葉ですが、口語訳聖書には「サムソンはペリシテ人を攻めようと、おりをうかがっていたからである」とありますが、新改訳聖書では「主はペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたからである」とあり、新共同訳聖書では「主がペリシテ人に手がかりを求めておられることが」とあります。ペリシテ人との戦いのきっかけを求めていたのは、サムソンではなく主ご自身でありましょう。主はいつまでもペリシテ人がイスラエルを治めることを許されず、戦いの端緒を開かれようとしていたのです。

 さて、女のもとへ行く途中で、サムソンは若い獅子に襲われます。しかし14:6時に主の霊が激しく彼に臨んだので」、サムソンは素手でその獅子を引き裂いてしまいます。やがてその獅子の屍に蜜が湧いているのを見つけ、彼はそれを食べて、両親にも与えたとあります。
サムソンは、花婿の習わしとして宴席を設け、そこで14章14節。
 【「食らうものから食い物が出、強い者から甘い物が出た」】
という謎を出し、亜麻の着物三十と、晴れ着三十を賭けました。客人達はその謎を解くことができず、サムソンの妻になる女を脅して、答えを聞き出させます。泣き続ける女に負けて、サムソンは答えを明かし、客人達は
 【「蜜より甘いものになにがあろう、ししより強いものになにがあろう」】(14章18節)
と、謎を解いてみせました。
 怒ったサムソンはアシケロンの町に下り、町のもの30人を打ち殺し、彼らの晴れ着をはぎ取って、謎を解いた客人達に与え、帰っていきました。
時がたって後、サムソンは自分の妻のもとに行きましたが、彼女は別の人の妻になっていて、怒ったサムソンは、きつね300匹を捕らえて、尾と尾を結びあわせたところにたいまつを着け、それに火をつけてペリシテ人の麦畑に放して、焼き払いました。
 畑を焼き払われたペリシテ人は、それがサムソンの舅が女を他の人に与えたせいだと知って、彼女とその父の家を焼き払いました。サムソンはその仕返しに大勢の人々を殺し、岩の裂け目に住みました。
 ペリシテ人は報復のためにユダを攻めました。ユダの人々は、ペリシテ人が、15章10節で
【「われわれはサムソンを縛り、彼がわれわれにしたようにするために上ってきたのです」】
と言うのを聞き、15章11で
【そこでユダの人々三千人がエタムの岩の裂け目に下って行って、サムソンに言った、「ペリシテびとはわれわれの支配者であることをあなたは知らないのですか。あなたはどうしてわれわれにこんな事をしたのですか」。】
 というように、サムソンのもとにきて、彼をなじりました。「ペリシテ人はわれわれの支配者であることをあなたは知らないのですか」彼らは、ペリシテ人の支配に甘んじ、波風が立つことを恐れていました。ヨシュアの時代に、強くあれ雄々しくあれと主に励まされ戦った人々が、今は敵国の支配に甘んじ、安穏な生活を求めていたのであります。そのような時代に、サムソンは主に戦いの先駆者として、立てられた器でありました。
 イスラエルは敵の支配に甘んじて安穏をむさぼってはならない、戦わなくてはならなかったのです。

 21世紀に生きる私たちに、士師記の時代の出来事、旧約聖書の時代の出来事は受け入れがたいところがあります。戦争や殺しあいの描写に抵抗感もあります。しかしサムソンが戦いの器として立てられた意味、現代に生きる私たちが聴くべきみ言葉のメッセージを、虚心に聴いていかなくてはならないと思います。

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