キリストの復活
【15章20~22節】
<20しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。21それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。22アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。>
【15章3~4節】
<3わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、4そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと>
【テモテへの第2の手紙 1章9~10節】
<9神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、10そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。>コリント人への第一の手紙 15章 20節から22節
【21それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。22アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。】
コリント人への第一の手紙15章21~22節の御言でございます。本日は、イエス・キリストの復活を記念するイースターにあたり、十字架で死なれたイエス様が、甦られたという、この出来事について御言に導かれ、信仰によって私たちに注がれる恵みへの感謝を新たにしたいと願っております。
前回は、キリストの受難について聞いてまいりました。それは、一言で申し上げますと、造り主なる全能の神の御子が、へりくだりを貫き通されたということでした。律法の授与者が、自らをその下に置き、律法を成就し、父なる神への完全な従順を果たされたお働きです。その全ては、父がご自身に与えられた民を救うため。自らを傷もシミもない聖なる生贄として捧げ、罪の奴隷から贖うため、買い戻すための御業でありました。ヨハネの福音書19章30節で、息を引き取られる間際、イエス様は「すべてが終わった」と仰いました。これは、「完了した」「負債を全て完済した」という意味です。イエス様の命をもって、キリストの民はすべて、完全に買い取られ、罪の奴隷からキリストの僕、キリストのからだ、神の子とされることが確定したのであります。
イエス様の降臨は、神から唯一お生まれになった聖なる一人子が、聖霊によって人となられたことでした。そして、私たちと変わらない肉体を持って人となられた神の御子は、その肉体においても、心においても、一切の罪を犯されず、苦難と、屈辱と、苦痛をかわすことも、軽減することもなく、全てその身に受けて下さいました。聖霊に満たされたイエス様が、荒野でのサタンの誘惑に、御言への従順によって打ち勝たれ、神の御前に完全な無罪の状態で十字架へと向かわれたのであります。それは、アダムがなし得なかった完全な従順を果たし、それによって約束された永遠の命を私たち罪人にもたらして下さったのであります。 そして、それは信仰を与えることによって果たされることを明らかにして下さいました。
実際、イエス様は地上の公生涯において、数々の奇跡の御業を行われましたが、それはご自身が神に御子であること、神の国が到来したことをお示しになるためであり、必ず民の信仰と共にありました。神としての権威と力を持たれていることを明かしながら、贖いのためには、あくまで人として、へりくだり続けられました。罪なき人でありながら、神のみ怒りを受けるべく、一切の弁明をされず、御自身の罵る者、捨てさった者たちのために、執り成しの祈りを捧げて下さったのであります。
こうして、イエス・キリストは十字架での呪われた死を迎えられました。そして、陰府にまで下られたのであります。このイエス様の十字架の死は、現実の出来事として、今私たちが生きる世界の、歴史的事実として表されました。イエス様の死を、直接確認したのは、ローマの兵士たちでした。また多くの証人が、この出来事を目撃していました。
十字架で死なれ、墓に葬られたたイエス様は、預言された通りに三日目に復活なさいました。このキリストの復活は、十字架の死と表と裏というか、ひとくくりの出来事であります。近代以降の教会では、十字架は語られても、復活について語られることが少なくなってきたことは、憂うべきことでした。しかし、この復活無くして、救いの御業の完成は無かったということになります。
先程、第一コリントの15章20節からの御言をお読みいただきましたが、その少し前の15章3節から4節をお読みいたます。
【3わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、4そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、】
パウロが伝えたかった「最も大事なこと」とは、キリストが私たちの罪のために「死んだこと」と、そして「よみがえったこと」とだと、断言しています。死んでよみがえられたことが一体で、最も重要
だといっています。そして、十字架の死が、公然の出来事だったように、復活もまた同様に、多くの人々の目撃によって証しされる、歴史的事実であることを強調していることがわかります。
キリストの十字架こそ聖書のクライマックスで、富士山の頂上のような出来事ですが、キリストのへり下りという意味では、地上の最も低いところで、更にもっと卑しい扱いと苦難、この世の苦痛と神の裁きの絶望を味わわれました。地の底の最も深いところで、さらに地の底を突き破って、陰府にまで降りて行かれました。逆にそこからの甦りは、肉体を持って地上に復活され、更に天にまで昇られるという、最も高い、栄光あるお姿であったということになります。丁度、袋に手を入れて、底をつまんで裏返しに引っ張り上げたようなイメージでしょうか。袋の底を引き上げることで、袋に収められたキリストの贖いの恵みが、露わになり、表にあふれ出て来ることになります。私たちは、キリストの復活によって明らかにされた、私たち自身の終わりの日の復活と、永遠の栄光の確証を与えられたのであります。
ウェストミンスター小教理問答の23問で、キリストの贖い主としてのお働きについて、次のように教えています。「キリストは、私たちの贖い主として、謙卑と、高挙のいずれの状態においても、預言者と祭祭司と王の職務を遂行されます」。この謙卑、卑しくへりくだられた状態が、ご降誕、地上の生涯、十字架の死の状態になります。そして、高挙。高く挙げられた状態が、復活と、昇天、天で神の右の座に着かれたこと。さらに、世を裁くための再臨であることを教えています。キリストの死と復活は、ちょうど天地を繋ぐ地平線のように、謙卑と高挙を繋ぐ一点であると言えます。
キリストの復活の意味を、ウェストミンスター大教理問答の52問では次のように聖書から導きだしています。
「復活によって、キリストはご自分が神の御子であること、神の正義を満たしたこと、死と死の力を持つものに勝利されたこと、生者と死者の主であること、を宣言されました。これら全てをかれは公人、すなわち教会の頭として、彼らの義認と、恵みによって生かすこと、敵に対する支援のため、また終わりの日における死者の中からの復活を彼らに確約するためになさいました。」
順番にまとめますと、キリストは復活されることで、5つの大切な真理を明らかにされました。
第1はキリストが神の御子であること。
第2はキリストがその民の罪に対して、神の正義を完全に満たされたこと。
第3はキリストが死を征服されたこと。
第4はキリストがサタンと悪魔を征服されたこと。
第5はキリストが生きているものと死んでいる者の主であると言うこと。
そして、キリストの復活がもたらしてくださる益、恵みが4つ教えられています。
第1は義と認められること。
第2は恵みに生きさせること。
第3は敵に対して守って下さること。
第4は終わりの日に自分達も甦らされると言う確信。この4つにまとめられています。
しかも、この恵みは教会に与えられる。キリストを信じる全ての民、その集合体である見えない教会に対してであります。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰によって、この恩恵が約束されていると言うことになります。本日の聖句はこの4つ目、私たち自身の甦りを約束して下さる御言でございます。
第一コリント15章の20節では
【20しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。】
と言われました。コロサイ人への手紙1章18節では、次のように表しています。
【18そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。】
また、ローマ人への手紙8章29節で
【神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。】
と教えられています。復活によって死を征服し、悪魔に勝利し、天に昇り神の義の座に着かれることは、神のお力であり、神の一人子の御業であります。しかし、イエス様はこれを、私たちと同じ肉体を持って成し遂げて下さいました。教会の頭として、その体なる教会を同じくするために。また、御自身の民の長子として。私たちは、信仰によってキリストに続く兄弟として、主なる神の子とされ、御国の相続人としての恩寵を約束されているのであります。
キリストはその謙卑を、御父への完全な従順を人として、成就して下さいました。しかしそれは神の御子にのみ出来得ること、御業でありました。逆に、高挙。復活の御業はご自身の神の力でありましたが、人のからだをもってそれを、果たして下さいました。救い主イエス・キリストがまことの神にして真の人であられたこと、またそのような方でしかあり得ないことが、ここに明かされています。
最後に、テモテへの第2の手紙1章の9節10節をお読みします。
【9神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、10そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。】
キリストは復活され、死を滅ぼし、福音。すなわち聖書の御言によって、永遠の命の約束を明らかにされました。さらに、神ご自身の計画に基づいて、私たちを召し、その恵みへと招いて下さっています。この、
大きな、一方的な恩寵を覚え、キリストの御業への思いと感謝を新たなものとして、歩んでまいりたいと、主の一層のお導きを祈ります。