月報 2022年3月 「神の子キリストのヘリくだり」
キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。
その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。ピリピ人への手紙 2章 6節から8節
今回は「キリストの謙卑」について教えられたいと思います。まず、キリストが真の神であられ、真の人となられたこと。神性と人性という二性が、混合せず、変化せず、分割されず、分離せず、一つの位(人)格の中に統合されている、二性一人格というご本質を聖書は明かしています。そしてこのキリストの御姿は、私たちを救うために必要なお姿であったということが教えられます。神であり人であられるイエス・キリストが、ご自身の全ての民(=教会)を救うためになさった御業が、預言者、祭司、そして王としてのお働きでした。キリストの語源、「油注がれし者」と言われる、三つの職業によるお働きです。これをキリストは、ご自身が低い状態においても、高い状態においても、完全に果たして下さったと聖書は教えています。この高低を二状態と言います。低い状態のことをキリストの「謙卑」と言い。高い状態のことをキリストの「高挙」と言います。
このキリストの「謙卑」。低くあられた状態について、御言に聞いてまいります。ウェストミンスター大教理問答の46問の、『キリストの謙卑の状態とは、どのようなものでしたか』に対する答は、『キリストの謙卑の状態とは、キリストが私たちのために、その栄光をご自身から取り去って、その受胎、誕生、生涯、死において、更に死後は復活まで、ご自分にしもべの形を取られた、そのような低いさまでありました』と答えています。 キリストの低い状態が、5つの状況で示されます。受胎・誕生・生涯・死・死後です。受胎・誕生においては、永遠より神の御子で天にあった方が、御父との購いの約束を果たすために、実に低いところ、この地上に人となってお生まれになったこと。それも貧しく、低い身分の女性から生れて人の子となられました。普通以上に劣悪な環境。迫害から逃避を迫られ、様々な悪条件の下、彼女から生まれることを良しとして、ご自身を低くされました。
その後のご生涯における低い状態について、大教理問答の48問で次のように説明しています。『キリストは、〔第一に〕ご自身を律法に服従させ、律法を完全に成就することにより、また〔第二に〕世からの侮辱・サタンの誘惑・および、彼の肉のうちのさまざまな弱さと戦うことによって、その生涯においてご自身を低くされました。』という答えです。この第一と第二の点について、聖書を引いてみます。
まず、第一はガラテヤ4章4節【しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生まれさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった】。本来、律法を作って、人に与え、またそれによって裁くべきお方、律法の上に立つかたが、律法の下にこられた。もう1ヶ所はマタイ5章17節【わたしが律法や預言者を廃するために来た、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するために来たのである】。その目的がローマ5章19節「すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである」
第二は、ヘブル4章15節【この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、わたしたちと同じように試練に会われたのである】。最も聖い宇宙の創り主、天地を支配される方が、私たちを救うために低くなられて、弱さの中に身を置いて下さったのです。 神が人となって下さった、その憐れみと御業に感謝し、信頼して歩んで参りましょう。