月報 2022年7月 「キリストの昇天」(2)
このように、あなた方はキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。
そこではキリストが神の右に座しておられるのである。あなた方は上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。コロサイ人への手紙 3章 1節から2節
キリストが、復活後に人の体をもって天に昇られた、昇天の意義について、ウェストミンスター大教理問答で教えられていた一番目は「わたしたちのために賜物を受けるため。」ということでした。
第二は、「わたしたちの思いをそこへと引き上げるため。」と、教えられます。私たちは、自分を最も愛してくれる人。最も与え、支えてくれる存在のいるところを思います。「世の終わりまで、いつも共にいる」(マタイ28章20節)とイエス様は約束して下さいました。イエス様は天から聖霊を遣わし、また聖霊によって、常に絶え間なく私たちと供にいて、支え、導いて下さいます。この私たちの主、神の御子が、今天におられます。
天こそ私たちの故郷であり、そこに本籍があります。天を思うこと。天のものを求めることは、罪と汚れから逃れられない、不完全な私たちが生きる、この世に全てを求めることに比べて、はるかに有益で、安全であります。上からのものは完全である。イエス様は「まず神の国と神の義をもとめなさい。」と教えらました。主は求めると同時に、私たちが応えることができるようにして下さるのです。私たちの思いを、まず、天に向けましょう。天も地(世)も、神がお造りになり、イエス様にご主権を授けておられます。どちらも大切ですが、優先順位は天にあります。魂の、そして命の故郷である天を仰いで、この世の罪と死の支配から解放されていることを思い起こし、主に感謝し、讃美できるのです。
私たちは自分がどこから来たか教えられています。この世で「自分探しの旅」に出ても、結局、見つけることはかないません。全ての被造世界は、常に一時的、相対的な存在に過ぎないからです。しかし、唯一の道であるイエス・キリストを通して、造り主である、無限永遠不変の唯一まことの霊なる神様を知り、その測りがたい愛に満ちた御心を感じ、天を思う時、そこに答えが備えられているのです。
そして第三の目的は、「わたしたちのために場所を用意するため」。ヨハネの福音書14章2節で、イエス様は「わたしの父の家には、すまいがたくさんあると」仰いました。それは、イエス様が天に昇り、その場所を備えて下さるから、とも訳せます。全ての住まいを用意されるということは、恵みの選びによって主の民とされた者が、全員揃うことを意味します。同福音書6章39節で言われたように、一人残らず、一人も余すことなく、全員、天の御下へと入れて下さるという、イエス様のお約束であり、父なる神の御心です。地上の歴史において予定されていた者が全員集められた時、天に供えられた住まいに招き入れるために、イエス様は再び来られるという希望の終末が約束されました。これは代々の教会に与えられた、絶えることの無い大きな希望であり、喜びであります。
その証しとして、イエス様は「わたしたちの本性(ほんせい)において、わたしたちの頭として、敵に勝利して、目に見える形で」天に昇られました。まことの神、霊なるお方が、私たちと変わらない人となり、その本性をお持ちのまま、誰の目にも明らかに見えるように天に昇られました。私たちの頭として、初穂として、私たちも同じく天に召される、確実な保証として示されたお姿でありました。ここにキリストの昇天における高挙、栄光と恵みの御姿が示されたのであります。