キリストの霊の宣教

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キリストの霊の宣教

19こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。
20これらの霊というのは、むかしノアの箱舟が造られていた間、神が寛容をもって待っておられたのに従わなかった者どものことである。その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずかに八名だけであった。
21この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることである。
22キリストは天に上って神の右に座し、天使たちともろもろの権威、権力を従えておられるのである。ペテロの第一の手紙 3章19節から22節

「キリストは天に上って神の右に座し、天使たちともろもろの権威、権力を従えておられるのである。」

 ペテロの第一の手紙、3章22節の御言です。今朝も、ペテロの手紙の御言に聞いてまいりたいと思います。ただ今お読みしました22節では、「キリストは天に上って神の右に座し」と、キリストの昇天と、天での着座を表しています。十字架の死より復活されたイエス・キリストは、多くの人の目の前で、天に引き上げられました。そして、今も私たちと変わらない肉体を持って、天で神の右の座に着かれ、「天使たちともろもろの権威、権力を従えておられる」というとおり、天地の全ての権威を授けられ、支配したもう、まことの王であります。
 クリスチャンは、このまことの王に仕える者として召され、世に遣わされているキリストの民であります。このキリストに結びつけられることで、キリストが体現されている、栄光。天での永遠の命、神との交わりが確実なものとして、約束されているのであります。
 キリストの天に着座されている姿は、いわゆるキリストの「高挙」。高く挙げられた、栄光の御姿ですが、これもまた、先に申し上げたように、私たち罪人を救うための御業であります。この22節の昇天と天の着座は、先週見ました18節の続きになっています。あらためて18節を見ますと、
 <18キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。>
 
 ここでペテロは、キリストの死と復活を語りました。特に、キリストの死の意味が、簡潔に教えられています。第一にその目的が、「あなたがたを神に近づけるため」であるということ。ここの「近づける」というのは「連れて来る」という言葉です。神さまの下へ導くため。すなわち、罪によって失われていた、神との交わりを回復させるという目的のために死んでくださった、ということです。
 第二は、その目的を果たすために、キリストの死は「自らは義なるかた」の死であったということ。神に御前に義であるということは「完全に罪の無い」ことであり、それが叶うのは、父なる神と心が一つであられた、神の御子以外にかなわなかったことであります。その義なるかたが「罪のゆえに死なれた」ということは、身代わりであったということです。「不義なる人々のために」、義なる方が代わりに、人として死んでくださいました。
 そして「ひとたび罪のゆえに死なれた。」「ひとたび」とは、ただ一度きり、ということです。完全に罪なきご自身を生贄とされた、キリストの贖いの死は、少しの不足も欠けもない完全な購いの御業でした。天地の歴史において一度きり。十分で究極に完成された贖いであったということです。ヘブル書7章27節(新約350ページ)では次のように明かされています。
<彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。>
 キリストの完全な購いの死によって、いわゆる儀式律法は廃棄されました。(ヘブル10:17-18)
<17[さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べている。18これらのことに対するゆるしがある以上、罪のためのささげ物は、もはやあり得ない。>
 このように、義なる方が、不義な私たちの罪のために、死の苦しみを負って下さいました。それは罪人を神の御もとへと導くためでありました。ですから、このキリストを主とあがめ、心に抱く私たちが、義のために苦しむことがあっても、それは幸いなことだ、とペテロは教えていたわけです。まことの神を知り、キリストを主と受け入れることで、人は神の御心に触れることになります。神の愛、神様がよしとされること。喜ばれること。善ということを教えられます。それによって、世の罪や不従順がより明らかに目に映ってきます。人々の無理解や不条理なこともあります。しかし、信仰を与えられ善によって苦しむことは、神を知らないままの苦しみや悩みとは違っています。自分中心の、自尊心やこの世の栄誉のため。自分の欲求や、希望がかなわない不満や悩み。この世の一時の、ある意味虚しい苦しみです。
 対して、主のため、真理のための苦しみには、天での大きな報いが備えられています。また、世の苦しみが一時であること。試練や苦難もまた、主がお許しにならなければ起こり得ないことを知らされます。真に耐えがたい悲しみや苦しみも、主が万事を益としてくださること、天での報いを見上げて主により頼んで忍ぶことが叶うのであります。報いはまた、この世においても、備えられます。義なるキリストが死に至るまで従順であられたこと、苦しみを受け入れ耐え忍ばれたことは、私たちを救うため、神の御許に導くためでした。同じように、キリストの民が、苦難の中で希望を絶やさず耐え忍ぶことは、「説明を求める人々への弁明」。証しのきっかけでもあります。主により頼む姿から、また<16bやさしく、慎み深く、明らかな良心をもって、弁明>することを、人々を神様のもとへと導く働きとして、主が用いられるのであります。
 イエス・キリストは死なれて、そして復活されました。この復活によって、私たちの初穂として、頭として私たちに、死への勝利と復活の保証を与えて下さいました。パウロが「最も伝えたいこと」と言っていたのは、このキリストの一度きりの救いの御業、死と復活でありました。
死と復活。これはキリストの謙卑と高挙、へりくだりと栄光の御姿の一つです。私たちが信仰告白として唱えています使徒信条の内容も、つまりは、このキリストの謙卑と高挙ということを表しています。クリスチャンの信仰告白の基本は、使徒信条にあるように、全能の父なる神を信じること。神の御子、救い主キリストを信じること。聖霊を信じること。キリストの民の集合である教会と、神が約束された、復活と御国での永遠の命を信じることに集約されています。使徒信条では、その中にキリストの謙卑と高挙の御姿を表しており、信仰の中心にイエス様がいて下さることを告白していることになります。
 ペテロの手紙の3章18節で、キリストの死と、霊において活かされるという、永遠の命に至る復活が語られていました。そこから繋がっているのが22節のキリストの昇天と着座、ということになりなります。これも使徒信条にあるように、キリストが、神の右に座しておられると言うことは、これはいわゆる比喩的な表現になります。真の霊なる神様は、形をお持ちでは無いので、座する必要もなく、座を必要とされません。人間の世界の王座に譬えて教えられています。この意味は、まことの神と人との二性をお持ちであるキリストが、父なる神の隣の、至高の地位を占めておられると言うことです。主権者から全権をゆだねられた者の立ち位置を表現しているわけです。御子キリストは、父なる神と完全に同等であり、御心を共にされています。「わたしと父は一体である」と言われた通りであります。この方が、神と私たちの唯一の仲保者です。
キリストが天の神の右まで高くされたわけについて、ピリピ人への手紙2章8-10節では次のように書かれています。
 <8おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。9それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。10それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、11また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。>
 つまりキリストが天において、神の右の座に高くされたこの栄誉は、恵みの契約に基づいて、完全な服従と苦難と死(つまり、キリストの謙卑)に対する報酬として、キリストに与えられました。それはあらゆる人がイエス・キリストを主と告白するため。つまり天より聖霊を送って下さり、信仰を与え、御自身の民をお救いになるためでした。
それではイエス・キリストが天の神の右で行使される権威がどのようなものでしょうか。キリストは天と地における一切の権威を授けられました(マタイ28:18)。また、万物を彼の足の下に従わせられましたそして、万物の主権者であるキリストを、かしらとして「教会に」与えられました。(エペソ1章22:P302)。つまり、主権者であるキリストの権威の発動、天から行われる世の統治は、教会すなわちキリストの民の益のためである、ということであります。ウェストミンスター大教理問答の問54問では、具体的なそのお働きを次のように聖書から導きだしています。
 まず、選びの民を教会に集めること。そしてその民を敵から守ること。また、キリストに仕える役員や信徒に、(一般的な)賜物と、特別な賜物を、満ち足らせるため。(エペソ4:10-13)更に、キリストの民のために(父なる神に)執り成しをされるため(ロマ8:34)と言うことになります。ヘブル7章24-25節「24しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。25そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。」
 こうして、ペテロの手紙3章の18節と22節のわずか2節で、キリストの救いの御業、死と復活、昇天と着座が簡潔に教えらました。どこまでも御父に従順なへり下りと、その末の栄光の御姿の全てが、私たちを神様の御怒りから守り、世の罪と死から解放し御許へと連れて行って下さるための御姿でした。私たちを愛してやむことの無い、神様の憐れみであります。

 それでは、この18節と22節に挟まれた、19節から21節には、何が書かれているのか。お読みいたします。<19こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。20これらの霊というのは、むかしノアの箱舟が造られていた間、神が寛容をもって待っておられたのに従わなかった者どものことである。その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずかに八名だけであった。21この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることである。>
 このうち、19節から20節の前半は、歴史的にも多くの議論が交わされてきた、解釈が難しいといわれる御言でございます。
まず、口語訳では「こうして彼は、」と始まります。彼とはキリストのことですが、「こうして」という接続は、直訳すると18節の「霊において生かされた」と言う言葉から、「それにおいて」つまり、「霊的において」と言う意味になります。霊的領域から話が展開して切り替わっているのですが、それが分りにくくなっています。もう一点「霊どものところへ下っていき」の「下る」という語は入っていません。単に「行って」という単語だけになります。これは、19~20節が挿入されている場所が、キリストの死と復活、昇天と着座の間に置かれていることも影響していると考えられます。そのため、その両者の間にあった出来事というと、これも使徒信条にあった通り、「陰府に下り」ということが思い起こされます。
 そのため、<獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。>のは、キリストが死と復活の間に、死者のところまで行き、ノアの時代に、信じなかった人々の霊に福音を語ったという理解する説もありました。死者の領域は神秘の部分にもなりますので、簡単には排除できないとして、いわゆるセカンドチャンスの根拠とされる聖句の一つになっていきます。口語訳はこの影響を受けていると思います。黒崎幸吉先生も死後の福音説に取っておられるようです。ただし、死後に救いの機会が与えられるというのは、聖書全体の中で教理的に矛盾することになります。そこで、次に「宣べ伝える」と言う言葉が注目されました。「ケリュッソー」という動詞ですが、宣教する。宣べ伝えるといういみと、宣言するという意味もあります。つまり、キリストは死者の霊のところへ行かれて、死に対する勝利の宣言、救いの勝利の宣言をされた、というものです。いのちのことば社の新聖書註解では、これが適当だろうと結論しています。
しかし、近年、より詳細な文法的研究と、文脈などから、ここの部分の意味を次のように解説されています。つまり、キリストが宣べ伝えに行かれた相手は「獄に捕らわれている霊達」で、今は霊ですがかつて、ノアの時代には生きていた人々です。その霊たちが生きていた時、ノアの時代に、受肉される前のキリストが霊において宣教された、ということです。旧約聖書に記載はありませんが、ユダや伝承であるタルムードには、ノアが主の言葉を信じて箱舟を造りながら、予言された洪水のことを人々に伝えていたこと。それを聞いた人たちが、ノアを馬鹿にしていたことなどが記録されています。結局、大洪水を通り抜けてすくわれたのはノアの家族だけでした。子供向けの箱舟物語などはこれを基にしているものもあったと思います。
 主が選んで召されたノアは、預言者として、主の言葉を宣教していました。主とは、父なる神だけではなく、父、御子、御霊の三位一体の神を表していますから、旧約の主の言葉は、キリストの言葉でもあります。逆に、このペテロの手紙によって、より明確に、救いへの招き。主に立ち帰れるようにとの伝道は、聖霊それもキリストの霊によって宣べ伝えられていたことが明かされていることになります。
 救い主キリストは、やがてその救いの成就のために、受肉され人となって私たちのもとへ降りてきてくださいましたが、実はそのずっと以前より、父が御子に与えられた民を救うために、御霊を遣わして招き続けていて下さったのであります。

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