キリストの勝利(Ⅱ)

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キリストの勝利(Ⅱ)

 1さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。2そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。3すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
 5それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて6言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。7イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。
 8次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて9言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。10するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
11そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。マタイによる福音書 4章 1節から11節

◎「10するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 11そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。」

 マタイの福音書4章10節11節の御言です。先週に続いて荒野の試練について、御言葉に聞いてマりたいと思います。最初に申し上げました、サタンの誘惑の真の意図と、イエス・キリストの勝利が意味するところは、サタンの誘惑の狙いは、御子イエス・キリストのヘリ下りの妨害でありました。イエス様を、父なる神への従順を妨げ、高慢に導く、罪を負わせようとするための試みです。最終的には、十字架の贖いの阻止につながるのであります。このサタンの誘惑に、イエス様がいかに勝利されたかを、見てまいります。
 先週は、サタンによる3つの誘惑の、第一番目の誘惑に対し、イエス様が聖書のみ言葉、神の教えをもってこれを退けられたお姿を学びました。最初の誘惑は、40日40夜の断食の後、空腹を覚えられたイエス様に「もし、神の子であるなら、パンを石にかえてみよ」というものでした。これに対しイエス様は申命記8章3節を引用して、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある。」とお答えになりました。肉の糧ももちろん必要ですが、霊の糧も必要であります。何より、肉は霊より生まれるということ。光あれという神の言によって、この世界は生れ、神の言によって成り立っている。この創造者であり、全能の神に信頼して生きるのである、という姿勢をお示しになったのであります。

 そこでサタンが二つ目の誘惑を行います。最初、空腹のイエス様に食べ物を持ち出したサタンは、今度はイエス様の応答に目を付けます。第一は、御言によって答えられたこと。次に父なる神様への完全な信頼を示されたことです。5節から7節をお読みいたします。
【5それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて6言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。7イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。】
 まず、サタンも聖書の御言を持ち出してきました。これは詩篇91篇の11節12節の御言です。詩篇の第4巻、主の王権を讃美する詩篇集で、91篇は特に神様の保護、主による守りを讃美した詩篇でした。この御言を持ち出して、神に信頼しているのであれば、高いところから飛び降りても、守ってもらえるだろう、と持ち掛けたわけです。まことに巧みな誘惑であります。サタンも時には聖書を用いること、しかし、それは御言があらわす神の御心のままではなく、かならず曲げてくることも分かります。エバに対する誘惑も同じでした。神が命じていられたことを、少し変えて、分かりにくく疑念を持たせて、自分で判断させようとする、人を御言の上に立たせようとする誘惑の形です。そして、信仰があるなら、信頼しているなら・・と迫るわけです。
 イエス様は、御父と一つなるお方でした。御言の真意を完全にご存知でしたから、このサタンの誘惑を見抜き、お応えになりました。7節、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。
 サタンが勧める行為は、神への信頼ではない。試みである、と断じられました。引用された御言は、最初と同じく申命記から、6勝16節の御言でした。サタンの勧めは信頼ではなく、試みであると仰いました。では、神への信頼、信仰と神への試みはどう違うか。信仰とは本来、召された時から、その生涯を通して信じ続けるということであります。ところが、それをひと時に、一瞬に縮めて、自分勝手に一つの事に定めて、神を試すような思いや行動、これが神を試みる、ということになります。これは疑いと自分中心の思いであり、神に仕えるのではなく、神を自分に仕えさせようとする、高慢な姿勢になります。サタンの「飛び降りてごらんなさい」という勧めは、まさに神を試みる行為である、ということをイエス様は見抜いて、それを、御言をもって指摘し、退けられました。
 この神を試みることは、主なる神様へ不従順であり、神の嫌われる罪でありました。出エジプト記17章を見てみましょう。(旧約98頁)。まず、1節2節
【イスラエルの人々の全会衆は、主の命に従って、シンの荒野を出発し、旅路を重ねてレピデムに宿営したが、そこには民の飲む水がなかった。それで、民はモーセと争って言った、「わたしたちに飲む水をください」。モーセは彼らに言った、「あなたがたはなぜわたしと争うのか、主を試みるのか」】民は、主は命じられ、先だって導いておられるにもかかわらず、モーセにつぶやきました。少し後の7節後半では【・・これはイスラエルの人々が争ったゆえ、また彼らが「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」と言って主を試みたからである。】ここで、主はモーセの願いを聞いて、固い岩を杖で叩いて、水を湧き出させてくださいます。民数記の20章10節から12節を見ますと、この民によるこの神への試みと、モーセの不信仰を認めた主が、それによって「彼らを約束の地に導き入れることができない」と宣言されています。神を試みることは不信仰である、ということが既に示されていたわけであります。
 ちなみに、第一コリント10章4節で「この岩はキリストにほかならない」と明かされています。キリストなる岩を打つ、ということはキリストの受難を表しており、贖いの受難は一度きりであって、主の命に背いてこの岩を二度打ったモーセの行為は、救いのご計画、贖いの御業に対する不信仰が示されたと言われています。
 いずれにしましても、自分勝手に神の守りを試そうとすることは、神を信じる事とは違い、逆に自分中心の不信仰であるということです。熱湯に指を入れて、火傷をしたら神様の聖にするような行いだ、と註解者は譬えています。サタンによる、まことに巧みな、御言を用いて神への信頼を試すような誘惑に対し、イエス様は正しい御言の適用をもって勝利されました。イエス様は、湖上を歩くことができるお方でしたが、神を試すことなく、人として御言に従順な姿を示されたのであります
 
 さて、二度にわたる誘惑を退けられたサタンは、三度目の誘惑を行います。今までのような、技巧を凝らした誘惑ではなく、本性を現した、直接的な挑戦でありました。8節から10節。
【8次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて9言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。10するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。】
 ここまで、サタンはイエス様に対し「もしあなたが神の子であるなら」と誘いかけていましたが、二度にわたって退けられて、とうとう本心というか、本質的な誘惑を投げかけてきました。それは、「平伏してわたしを拝め」ということであります。そうすれば、全地の権限を与えよう、という誘いです。サタンはそのような権威を与えられた存在ではありませんが、さもそのような力を持つかのように振る舞います。そしてサタンは究極の目的であった、イエス様のヘリ下り、神への従順を壊そうとした企みをあらわにいたしました。何とかしてイエス様の従順を損ない、人を救うために神より遣わされたメシヤを自らのものにしようとしたのであります。しかし、逆にイエス様は、御自身こそ天地を統べ治める全ての権威を御父から委ねられたお方であるにもかかわらず、ここでも、御言によって切り替えされました。【「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。】
 ただ、主なる神にのみ平伏し、仕えよと書いてある、その御言のみに私は従う、とおっしゃたわけであります。これはキリスト教信仰の基本であり、本質でありました。引用された御言は、申命記6章13節の御言でした。申命記は、主がシナイ山律法を与えられたのち、荒野の40年、試練の時を経て、カナンの目前、モアブの平野で、主が改めてモーセとイスラエルの民に示された律法であり、御教えであります。イエス様は、御子として、律法を定め、与えて律法の上に立つお方であったにもかかわらず、その律法のの下にご自身を置く、ヘリ下りと、律法を遵守する完全な従順をお示しになりました。救い主として人となられたご自身の務めに従順であられました。
 荒野でのサタンの誘惑は、私たち通常の人間に対する、さまざまな誘惑とは違い、主なる神の救いのご計画、救い主メシヤに不従順を侵させて、その御業を妨げようとする、恐ろしい挑戦であったということであります。しかし、イエス様は最後まで、御言への従順、神への従順を貫きいっさいの罪を犯されることがなかったのであります。イエス様のヘリ下りは完全に保たれ、それはすなわち十字架の御業が守られたということであります。サタンは、十字架の妨害に失敗し、イエス様の下を放れて行きました。イエス様は、サタンに対する完全な勝利をおさめられ、そうして地上での宣教と、十字架に向かっての道を歩み始められます。創世記で約束された原福音の成就の時でもありました。このように、荒野の誘惑は救済の歴史における、大きな出来事であったということでございます。
 この、重大な戦いにを乗り越えられたイエス様に、御使いたちがみもとにより、仕え始めます。荒野での霊的戦いを、イエス様はまず「御霊によって」始められました。御霊に満たされて、御霊に導かれて荒野に入られました。そして、御言によってサタンを打ち破られました。このことは、私たち自身に対する、サタンのさまざまな誘惑への、対処の模範、正しい方法をおしえてくれています。
 なにより、御霊のお働きを祈ること。既に勝利されたイエス様が、御霊によって共にいて下さることへの信頼。そして、御言なる聖書への従順であります。エペソ人への手紙6章で、サタンの策略に対抗するために、様々な神の武具を身につけなさいと教えられています。その中で、武器は御言だけでありました。私たちは、ややもすると御言を人を攻撃する武器としてしまう、罪深い者ですが、御言はサタンに対する唯一有効な武器であります。イエス様がご自身の戦いを通してそれを示して下さいました。神の言葉と御霊とイエス・キリストへの信仰。荒野の誘惑は、十字架を守る戦いであり、イエス様の勝利は、私たちに信仰の戦いを戦う術を教えて下さるものでもありました。
 主の測りがたい、あわれみに満ちた救いのご計画と、苦しみのなかでどこまでも御言への従順を貫かれたイエス様の愛と忍耐を覚えて、新たな一回りの魂の糧としたいと願っております。

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