あふれる恵みの神

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あふれる恵みの神

ペテロの第一の手紙 5章 8節から14節

「10:あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。」
 ペテロの第一手紙、5章10節のみ言葉でございます。ペテロがこの手紙で、勧め、励ましてきた教えの、最後の部分。締めというか、総まとめになります。ここまで、さまざまに教えてきましたが、結論的に、究極には、神様ご自身が、ご自身の民である私たちを、強くして下さる、という、力強い宣言であります。これはペテロによる、異教徒の中で苦労しているクリスチャンに対する教えですが、当然、聖書として、彼を通して語っておられる、真実なる神様の、確実なお約束でもあります。
 それでは、み言葉に聞いて参ります。最初に、最後の部分。12節から14節を見てみましょう。
「12:わたしは、忠実な兄弟として信頼しているシルワノの手によって、この短い手紙をあなたがたにおくり、勧めをし、また、これが神のまことの恵みであることをあかしした。この恵みのうちに、かたく立っていなさい。13:あなたがたと共に選ばれてバビロンにある教会、ならびに、わたしの子マルコから、あなたがたによろしく。14:愛の接吻をもって互にあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがた一同に、平安があるように。」
 12節から14節は、手紙の最後の、いわゆる、あいさつ文になります。ペテロは、ここでシルワノ、シラスとも呼ばれていますが、彼の手によってこの手紙が書き送られたこと。そして、ペテロが、バビロンにある教会。これはローマ帝国首都、ローマをかつてのイスラエルを支配したバビロンに譬えていますので、つまりローマの教会で書いたこと。そこに福音書記者でもある、マルコが一緒にいたことを明らかにしています。ペテロは、ローマ皇帝ネロの迫害によって、殉教いたしますが、それが西暦65から67年ころと言われています。パウロもほぼ同じような時期に殉教しています。ローマの大火が64年で、そこから急激な迫害がはじまりますから、この手紙はその少し前、62年頃に書かれたとされています。この時、すぐそばにマルコがいました。パウロも、60年から62年頃、ローマで裁判を受けるため軟禁されていますが、彼の方には、同じく福音書記者のルカが一緒についていたことが、パウロの獄中書簡で明らかにされています。このように、使徒たちが、支え合いながら、一つの福音をのべ伝え、キリストの教会を建て、導いていたことが分かります。
 12節で、「この短い手紙をあなたがたにおくり、勧めをし、また、これが神のまことの恵みであることをあかしした」。と、ペテロが言っています。確かに、5章ほどの短い手紙ですが、その内容は、福音の恵みが凝縮されており、豊かな教えと励ましが込められていました。手紙による「勧め」ですが、「παρκαλεω」という単語で、勧める。励ます。慰める。という意味があり、「説教」という意味でも用いられます。まさに、神の言葉としての説教の手紙である、ということになります。ですから彼自身、この手紙の内容を「神のまことの恵みをあかしするもの」である、と言っているわけです。
 そして、この「恵みのうちにかたく立っていなさい。」という、最後の命令形で締めくくっています。この恵みについて、本日のみ言葉から、改めて聞いてまいりたいと思います。
まず、8節から9節前半をお読みいたします。
「8:身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。9:この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。」
 ペテロは、この直前の7節で、「自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねなさい」と教えていました。この世のさまざまな、煩い。心をかき乱すこと。不安な思い。それらすべてを、丸ごと、投げかけるように、全知全能の、しかも愛の神様にゆだねなさい。なぜなら、神様は常に、今この時も、私たちを、心配し気にかけて、かえりみて下さるから。という励ましでした。信仰生活を脅かす、様々な心配事は、主が心配して下さる。主にお委ねすることがゆるされていて、そのために、」主に向かって、心を開いて、み言葉にきいて祈ることで、私たちは平安へと導かれていきます。主にある幸いが備えられているのであります。
 しかし、主にお委ねする平安を語ると同時に、今度は「身を慎み、目をさましていなさい。」と命令しています。「身を慎む」という勧めは、ここまで1章13節と、4章の7節でもなされています。1章では、救われて、まことの神を知ったからには、この世の不信仰な、不道徳な生活とは一線を画すべきであることが教えられていました。元々は、「真面目に」とか「しらふで」という意味です。4章では、「万物の終わりが近づいている」この時。つまり、神の救いのご計画である、救い主の贖いの御業が完了し、御霊によって神の国が訪れており、あとは最後の審判。イエス・キリストの再臨を待つばかり、という時代。今もそうです。そのような時に生きるものとして、祈り、愛し、奉仕しあう、教会生活のために、身を慎んでいなさい。というものでした。
 ここでは、身を慎み、さらにその上で「目を覚ましていなさい」と命じています。それは、「あなたがたの敵である悪魔が・・食いつくすべく・・歩き回っている。」から、というのです。思いわずらいを全て主にお委ねして、安心したと思ったら、すぐに、サタンが狙ってウロウロしているから、目を覚ましていなさい、と逆に不安を覚えるような言葉が述べられています。どういうことでしょうか。私たちは安心してよいのか、緊張しているべきなのか。
 ペテロは、非常に注意深く教えていると思います。一見、逆の精神状態のように思えますが、答えは一つです。なぜなら、9節。「この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。」と続くように、悪魔に対抗するのは「信仰にかたく立つこと。」だからであります。固い信仰とは、キリストにあって、神様に全く信頼すること。神様を畏れ、平伏すことにほかなりません。そこに、心を、思いを集中することです。「身を慎んで」。真面目に、ということになります。
 ひとつに、私たちは、ほんとうに弱い存在です。主の慈しみ、恵みに感謝しつつ、すぐそれが当たり前のように、当然のことのように感じてしまう、自分勝手な人間です。主のお守り、導き、平安のなかにあって、自分を甘やかしてしまいがちな面が確かにあります。ペテロは、永遠の救いも、地上の祝福も、また苦難に耐え忍ぶ力も、主の愛と慈しみによることを、はっきりと宣言してきました。ただ、イエス・キリストを神の御子、救い主と信じるところに、全ての恵みが備えられています。行いよる救いを求める律法主義ではなく、信仰による救いです。信仰が与えられることは、主の御業ですから、私たちは信頼することができ、確実で安心なわけです。
 この、主にある安心は幸いですが、しかし人間は安心すると、油断したり、高慢になったりします。高慢は不信仰の始まりです。そして、いわゆる無律法主義。世の誘惑に隙を見せてしまうわけです。そこにサタンが働いてきます。サタンの目的は、はっきりしています。創世記の初めから変わっていません。人と神様の間に敵意を置くこと。人を神様に背かせ、イエス様から切り離そうとするのがサタンであります。そのため、この世で襲い来るさまざまな試練や苦難。心がばらばらになりそうなこと。不平や不満、罵り。サタンは霊的な存在で、さまざまな事柄を通して心に働きかけてきます。自分を取り巻く事がらに、心が完全に奪われてしまわないように。その種を、主にゆだねなさい、と勧めていたわけです。
 律法主義でもなく、無律法主義でもない、キリストを信じて、従う。キリスト者の生活。安全な道の勧めであります。
 そして9節後半。「あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。」
私たちが経験する、また訪れて来る苦しみは、自分だけではない、と教えられます。世界中の兄弟姉妹が、同じ苦しみ、悩みを持っている。困難に会っている、というのです。クリスチャンの苦難は、代々のクリスチャンが経験しており、今も世界中のキリストにある兄弟姉妹が共有しているのであります。ですから、既に教えられたように、主にある愛を覚え、共に祈り、仕えあう教会生活が、信仰生活の支えであり、土台であります。その交わりのうちにこそ、常に、主が共にいたもうからであります。
主のみ言葉に聞き、主の御名による祈りによって、私たちに、天の神様との交わりが与えられます。上下の交わりです。自分の祈りを捧げ、兄弟姉妹のために。さらに世界のために祈ります。また、礼拝や祈祷会のように、共に集って祈ります。世界中のキリストの民も同じです。代々の聖徒達。そして将来の主の民も同じでしょう。私たちは、み言葉と祈りによって、天の神様、世界中の兄弟姉妹、歴史上の先達、将来の約束の子らすべて。上下にも、前後左右にも、過去にも未来にも繋げられています。交わりがあるのです。造り主なる神様が、永遠より交わりをもった、三位一体の自律自存の神様であられたように。私たちもまた、キリストにあって、御霊によって永遠の交わりの内に置かれている、一つの群れです。一人ではなく、この群れのうちにあって、大牧者なるキリストの下で、私たちは、完全に守られているわけであります。

最後に、10節から11節
「10:あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。11:どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アァメン。」 
 ペテロは、身を慎んでいなさい。目を覚ましていなさい。信仰にかたく立って悪魔に抵抗しなさい、と命じました。私たちに求められる事でした。しかし、最後に改めてペテロは宣言します。私たちを、そのようにさせて下さるのは神様である、ということです。
 神様は、「あふるる恵みの」神です。ことごとく。あらゆる恵みの神、という意味です。その恵みとは、「キリストにある永遠の栄光」であり、私たちをそこに「招き入れて下さった」。過去形で、確定事項です。その神様が。10節の「しばらくの苦しみの後」に「αυτος」彼自身、という言葉が入っています。ただ恩寵によって私たちを選び、永遠の栄光へと入れて下さった神様。その神様ご自身が、私たちを「いやし、強め、力づけ、不動のものとして下さる」のであります。しばらくの苦しみも、み心のうちです。その後、神様ご自身が、堅く立たせてくださいます。
 ひとときの苦難に傷つき、弱った私たちを「いやし」。つまり回復させ、完全にして下さいます「強め」。これは「固く据える、固定する」という意味です。そして「力を与え」て下さいます。信仰の力は私たちからではなく、神様が与えられる力です。そして、「不動のものと」して下さる。これは「土台を置く」という言葉です。
 いやし、強め、力づけ、不動のものとする、は四つとも未来形、能動態。主の御業ですから、いつもの通り「~であろう」という仮定の意味ではなく、確定です。WillではなくShall。必ずして下さる、という宣言であります。

 ペテロは、試練・苦難のクリスチャンを励まし、慰め、勧めてきました。全ての苦難と苦痛は、イエス様が経験されました。その中には、私たちが、耐えられない最も恐ろしい苦難も含まれています。私たちが、そのような目に遭わないように、身代わりとなって下さったものでありました。何よりの慰めであります。また、私たち苦しみは、世界中の兄弟姉妹も同様であるという、励ましです。そして、ひとときの苦しみの後に、栄光へと入られたキリストの御姿を思い起こし、私たちもキリストに繋げられているのですから、信仰に固く立って、み言葉と祈りと、主にある愛をもって、共に栄光の御国へと、歩みを進めてまいりたいと願う次第です。そのために、あらゆる恵みに満ちた神ご自身が、キリストにあって、私たちを癒し、強くし、立たせてくださいます。主に信頼する幸いに感謝いたしましょう。

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