御言を慕い求めよ

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御言を慕い求めよ

1:22あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。
23あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。
24「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る」(イザヤ40:7-8)。
25これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。
2:1だから、あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて、
2今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。ペテロの第一の手紙 1章22節から2章2節

<1だから、あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて、2今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。>

(キリスト者の幸い)
 ペテロの第一の手紙2章1節2節の御言でございます。今朝もペテロを通して語られた、神を知らない世で、様々な試練の中にあるクリスチャンに対する、励ましの御言葉に聞いてまいりたいと思います。
 ペテロは、父なる神により、キリストの救いの御業に与り、キリストに従うために選ばれたキリスト者の身分を伝えました。信仰を通して約束された御国での永遠の栄光。真実なる神様ゆえの、確実で消えることの無い希望が与えられていることを再確認いたしました。
 そして、神の御国の完成が告げられる、イエス様の再臨を待つ身としての心構えとして、身を引き締めるように、との勧めでした。それは、主なる神こそ裁き主であられる、裁くお方であるということでした。主は愛なる神ですが、同時に義なる神でもあられます。全き正義において、裁かれる主を畏れることが、罪によって人の心が失ったものであります。しかしながら、義なる神はその義を全うするために示されたのは、その義を飲み込んで凌駕していく、圧倒的な愛と憐れみでした。神によって選ばれ、神を知り、私たちが得たものは、永遠の栄光に加え、この世の生活においても、空疎な生活ではなく、主との交わりを回復された意味のある、喜びと希望が備えられた人生であります。
 これは、この世の基準や、目の前のはかない一時の栄に振り回される、自分中心の思いと生活ではなく、神中心の生活。私たちの真ん中に神様がいて下さる、ということであります。これが、聖なる生き方であります。聖なるものとなりなさい、と命令されましたが、実際、自分から聖となることは適いません。聖であるということは、聖別すること、すなわち神様のものとして区別すること、とりわけることでありますから、神様が私たちを聖別して下さっっている。神さまが聖として下さったということでございます。その証拠に、神はご自身の一人子の血をもって、私達一人一人を買い取られました。御子の血に値するものとして、私たちを取り扱っていて下さる、このことを自覚しなさい、という命令です。
 主が私たちをそのように、愛されておる、ということを思いますと、わたしたちの思いも、また行いも真に聖なるお方へと向かうのであります。

(聖なる生活:愛し合いなさい)
 さて、本日の22節以降では、救いの原則と、希望の恵み、御国に向けた心構え、そして、神中心という聖なる生き方の勧めから、聖なることの具体的な教えへと進んでまいります。
<22あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。>
 聖なるものとなることの第一は、神様を愛するということになります。キリストによって明らかにされた神様の愛にお応えする、ということです。神なるイエス様はこれを第一の戒め、御心にかなうことだと教えておられました。そして第二の戒めが互いに愛し合うことであります。神を愛するということは、まず神様を中心に置くということで、生活においては、礼拝という形で表されます。さらに、神礼拝には個人的な礼拝、自分の生涯を通しての礼拝というものと、今このように、主が定められた、安息日における公的礼拝というものがございます。これは、教会すなわちキリストの民の集りの礼拝であります。ここには御霊が共にいまし、交わりがある、共同体の礼拝であります。主が御自身の民を、群れとされることはその御旨であります。特に、神を知らない世においては、信仰を固く保つために、民の交わりと、愛し合うことの重要性が教えられています。それも、偽りなく、心から。表面的な装いではなく心から、主は心を見られるお方であります。
 そこにはキリストにあって、共に神の子とされた兄弟姉妹の交わりがあり、お互いがキリストの血の価値を与えられた者同士としての交わりがあるわけです。隣人愛は、その根底を神への愛がささえているように、兄弟愛もまた、まず神さまの愛によって結ばれ、育まれ固くされるのであります。
 「真理に従って魂がきよめられて、兄弟愛を抱くにようになった」と言われていることは、このことです。「真理」とは聖書に記された福音の御言です。「御言に従って魂をきよめ」とは、主イエス・キリストを信じる信仰を与えられ、告白し、主の教えに従おうと努めてきたことを意味します。主の教えを聞いて魂がきよめられます。ここの「きよめ」は能動態ですから、信徒自らが、信仰に基いて応答してきたことを指していると思われます。御言を通し、御霊によって、まことの神を知り、神様の愛を知って、きよめられ、私たちは兄弟愛を抱くようになります。22節では既に兄弟愛を抱くようになっていて、その上で、更に「心から愛し合いなさい」と教えられています。「熱く愛する」「熱烈に」という意味です。
これはどういうことかと言いますと、つまり、私たちが神様からいただいているもの。その恵みをしっかりと認識しましょう、ということを教えていると思います。ここまでペテロが語ってきたことを、大きく見てみますと、結局、「希望」と「信仰」と「愛」にまとめられると思います。尽きない、生き生きとした栄光の希望と、それを生みだすイエス・キリストへの信仰。その根底にある、神の大きな愛と憐れみであります。これは、有名ないつまでも存続するものとして、第Ⅰコリント13章でパウロが教えている、3つのことと同じです。クリスチャンに与えられた賜物です。
賜っている恵みの大きさと、価値を理解して、感じて、お応えしていく、ということをペテロは教えているわけです。賜物を有効に活かす。更に育むように、ということです。自分が働いて給料をもらうようになりますと、親の苦労がよくわかります。食事を与えられ、学校や習い事をさせ、仕送りをして、よく育ててくれたなぁ、と。学生の時は仕送りもうちょっと増やして欲しいなぁ、と思ったりもしましたが、今思えば、高校大学も私立でしたし、下に二人もいましたから、大変やったやろう、と思います。当時は親にしてもらっていることの大きさが理解できていなかったです。
地上の親子でもそうですから、ましてや天の父が与えて下さっているものの大きさは、どれほど大きく想像しても大きすぎるということはないわけであります。大きすぎて、よく分かっていない。目を瞑ったまま、全ての恵みの源を知ろうとしないのが、罪のもとにある人の姿であります。

(神の言による再生)
 続いて23節から25節に進んでまいります。
<23あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。 24「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。25これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。>
 
 クリスチャンとは新たに生まれた者と言われています。この「生れた」は受動態ですから、言い換えると「再び生み出された者」という意味です。生物としての生命ではなく、罪と死から開放されて、キリストの民、天国を継ぐ者として、全く新しくされた、再生されたことを言います。再生したからと言って、見た目や体形が変わるとか、いきなり性格が別人のようになるのではないことは分かると思います。この世で与えられた個人の属性は全て賜物ですから、それが賜物であること。自分の本来の生に生かされる、人生の目的と、天国の永遠の生が与えられていることを教えられた状態です。そこでは、常に御霊によって主が共にいて下さり、私たちを捉え、支え離されることはありません。霊的にイエス様に結びつけられた状態になり、その御姿を仰ぐようになっていきます。罪は重ねても、赦され続け、罪から離れるようにされていきます。
 23節は、22節と文章的なつながりがあって、22節の理由というか、内容の補充のような形になっています。新たに再生された者は、御教えに従うようになり、愛されて愛するようになっている、ということだと考えられます。そうして、このように神の民として生まれ変わったのは、神の御言によるということであります。24節25節で引用されているのは、イザヤ書40章7節~8節です。真実なる神に真実なる御言を語った聖句です。真実であるということは、真理であり、いつまでも変わることがない、生き続ける、力ある、それが神の御言、聖書であります。
 この変わることなく、生きた神の言から、人は新たに生まれる。植物の種は、目を出してやがて朽ちていきますが、霊の種である神の御言は、いつまでも朽ちることがない。ということは、そこから生まれたこの新たな命もまた、変わることなく、生きており、朽ちることがないということです。御言は生き続け、伸びた芽に栄養を与え続け、成長させ続けるということであります。逆に言えば、御言葉から栄養を与えられている限り、クリスチャンは成長し続けることができるのであります。
 聖書は、世界中の原語に訳され、文字として書かれていますが、人の言葉にあらず、文書でもなく、変わることの無い真理として生き続け、私たちに魂の糧を与え続けてくれる、まことの神様の言葉であります。ですから、御言から離れることは、魂が栄養失調になってしまうことが教えられます。そして、25節では「この神の御言が、宣べ伝えられてきた」。それは、召されて宣べ伝えてきた人がいて、私たちもまた、この朽ちない種を蒔くように、宣べ伝えるために召されている、ということでもあります。

(御言を慕い求めなさい)
最後に2章の1節~2節  
<だから、あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて、今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。それによっておい育ち、救に入るようになるためである。>
 ここで「だから」と始まります。23節から25節の御言を理由として、という意味です。そして命じていることは、「慕い求めなさい」ということ。慕い求めるものは「混じりけの無い霊の乳」です。前節では、植物の目を生み出し育てる、朽ちない種炉譬えられていました。別訳では「純粋な御言の乳」とも訳されていますが、混ぜ物がない、霊的なという意味での口語訳が適切だと考えられます。乳飲み子が、その成長をミルクだけに頼っているように。赤ちゃんを成長させるために必要なものが全て乳に含まれているように、人を再生し霊的に成長させるものは、御言でございます。神の言葉なる聖書に全ての栄養が備わっています。混じりけの無い、というように、人が足しても引いてもいけない。添加物の入っていない、霊の乳である神の御言が、クリスチャンの新たな命と成長を支える、必要不可欠な唯一のものであるということでございます。だから、これを熱心に、求めなさいと教えられています。
 そして、それは<あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口(あっこう)を捨てて>。
これは、22節に書かれていた聖なる生き方である、互いに愛し合うことについて、具体的に説明しています。悪意、偽り、偽善、そねみ(妬みということです)、それから悪口(あっこう)を捨てて、という勧めです。この捨て去るべき事がらの順番も、より内面的な、根源的な者から始まり、表面に現れ出て来るものへと並べられているようです。他の人々を傷つけ、主が愛された価値を損なうものであります。善をもたらす愛と対極にあるもので、これらは取り除かれるべきものだと教えられています。
 しかし、私たちには、これらを無くすことが、なかなかできないのも、また事実です。主が命じられる事、喜ばれることわたしたちはできません。ですから、全て成し遂げて下さった、イエス様に繋がり、より頼むしかないのであります。そのために、私たちに新たな命を芽吹かせ、成長させ、御国にいるまで成長させて下さる、霊の乳である御言を常に求めてまいりたいと思います。地上では、いくら歳を重ねても、御国の永遠に比べれば、生まれたての乳児と同じです。乳児に、時をあけずミルクが必要なように、私たちも魂の健康と成長のために日々、御言に聞いてまいりましょう。

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