キリストの「高挙」(高く挙げられた状態)の内、「復活」について学んでいます。前回はウェストミンスター大教理問答52問で説明されている、キリストの復活によって宣言された四つのこと、「⑴ご自分が神の御子であること、⑵神の義を満たしたこと、⑶死と死の力を持つ者に勝利したこと、⑷生者と死者の主であること」のうち第一の点「神の御子」についてでした。今回は第二の点から第四の点について、御言に聞いてまいります。
第二は「神の義を満たされた」こと。それは神様が正しいとされること、つまり神の律法の完全な成就ということになります。神の義を満たされたということは、神が喜ばれることを完璧に為し、喜ばれないことを全く為さなかったという事実です。これは、父なる神と御心が一つであった神の御子にのみ、なし得る御業であります。その神の御子が、人の代表として、人が為したことにされるために、人となって地上に来てくださった、という神の愛の表れそのものであります。
従って、キリストが天において、御父にとりなしていて下さる私たちもまた、キリストにあって義と認められるわけであります。「主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。」(ローマ4章25節)。
第三は「死と死の力を持つものへの勝利」の宣言です。キリストが肉体的死と魂の永遠の死そのものと、それをもたらす悪魔への完全な勝利をおさめられた証しであります。死はキリストを支配することができませんでした。彼は、神であられましたが、同時に私たちと変わらない肉体を持たれました。その方がよみがえることによって、キリストに繋がることで、彼を信じる信仰によって私たちは、死に勝つことができました。主が、御国での永遠の命を確約して下さったのであります。
それはすなわち、復活における宣言の第四の点。「キリストが生けるものと死ねる者の主」であって、彼らを裁き、また生かして復活させる権を持ったお方であるということです。
このキリストの復活という御業と、そこにおいてなされた宣言は、全て私たちを愛し、憐れんで、救い、生かして下さるという、目的に従ってなされたことであります。ご自身が神の義を満たすことで、私たちをも、神のみ前に義として下さいました。 そして私たちを、恵みによって生かし「罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし―あなたがたの救われたのは、恵みによるのである―キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。」(エペソ人への手紙2章5~6節)。
さらに・敵から守り「なぜなら、キリストはあらゆる敵をその足もとに置く時までは、支配を続けることになっているからである」(コリント人への第一の手紙15章25節)、 終わりの日の復活と永遠の命の保証・確約として復活されました。「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」(コリント人への第一の手紙15章20節)。このキリストの復活に込められた恵みに、感謝をあらたにしたいと思います。