キリストの受難

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キリストの受難

32彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。33そして、ゴルゴタ、すなわち、されこうべの場、という所にきたとき、34彼らはにがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはそれをなめただけで、飲もうとされなかった。35彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、36そこにすわってイエスの番をしていた。37そしてその頭の上の方に、「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげた。38同時に、ふたりの強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。39そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって40
言った、「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」。41祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、42「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。43彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。44一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。マタイによる福音書 27章32節から44節

【43彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。44一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。】

 本日の聖書箇所は、受難週に当たり、主なる神が、私たち罪人を救うため、永遠のご計画に基づいて、この世に遣わされた御子イエス・キリストが十字架に着き給うた場面でございます。
 ここでは、唯一神から造られたのではなく、生まれたもうた一人子が、地上で受けられた苦しみ。屈辱と辱め。そして苦痛。十字架刑という残忍な、気に架けられるという呪われた刑罰を、甘んじて受けられた、そのお姿に聞いてまいりたいと思います。それは、救い主。メシヤ予言の成就であり、父なる神への完全な従順によってのみなし得ることができた、人類の罪の贖うための受難でありました。
 まず、32節。人々はイエス様を十字架に架けるため、総督ポンテオ・ピラトの官邸から引き出し、ゴルゴダの丘に向かって追い立てました。祭司長やユダヤ人は、処刑の権威が無いことを理由に、イエス様をピラトに引き渡していました。自分達に都合が悪い存在であった、イエス様の命を奪うために、ローマの権威を利用し、責任を逃れようとしていました。ピラトもまた、イエス様に問うべき罪は無いことは理解していました。それで、ユダヤの王家であるヘロデに送ります。ヘロデも、さんざんイエス様を侮辱し、辱めた後、再度ピラトの元へ送り返しています。誰も責任を負わず、罪が認められない人を十字架につけようと、事態が進んでいることが分かります。これがこの世の罪であり、また、神がその遠大な恵みのご計画を成就されるためには、そのような世の罪をもお用いになることが教えられます。このことは一点、覚えたいと思います。
結局、祭司長達に扇動されたユダヤの群衆が、大騒ぎをし、彼等が暴動を起こすことを恐れたピラトは、イエス様を十字架につけることを認め、彼らに引き渡すことになりました。ピラトは、法に基づき、刑を定める権威を持っていました。そして、イエス様が無罪であることを知りながら、刑罰を許しました。さらに「その人の血について、私には責任がない」という、道理の通らない責任逃れを宣言し、イエス様を引き渡しています。ポンテオ・ピラトの元に苦しみを受け、と使徒信条で告白を致しますが、ピラトはこれらをふさわしく裁く、公的な権威を持っていたにもかかわらず、責任をもって行使せず、彼の権威のしたで、イエス様への数々の侮辱と、攻撃が行われたということであります。
それでは、32節をお読みいたします。
【32彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。】
とありますように、この時点でイエス様は相当衰弱しておられたことが分かります。捕らえられ、尋問を受け、引きずり回されて、ヘロデやピラトの官邸では、兵士たちから唾をかけられ、侮蔑と暴力を受けておられました。既に十字架を背負う体力を失っておられました。そのため、クレネ人シモンが身代わりとされています。クレネ人というのは、民族ではなく、散らされてクレネに住んでいたユダヤ人を指します。過ぎ越しの祭のためにエルサレムに昇っていた、ユダヤ教徒です。クレネ人シモンとその子供たちは、やがて名の知れたクリスチャンになりますが、それは後のことになります。
 このように、ゴルゴダの丘に登られたイエス様は、衰弱されながらも、34節。
【34彼らはにがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはそれをなめただけで、飲もうとされなかった。】
苦みを混ぜた葡萄酒は、マルコによる福音書15章では「没薬を混ぜた葡萄酒」と説明されています。これは、当時は、麻痺や、鎮痛効果のために用いられたと言われています。十字架にかける前に、その苦しみを少しでも軽くするために、罪人に与えられるものでした。しかし、イエス様はこれを拒まれました。ここに、イエス様が自らの果たすべき重大な任務をよくご存じであり、覚悟をもっておられたことが分かります。すなわち、苦痛を回避して、御自身の苦しみなしに救いは無い、ということでありました。
十字架刑は、最も重い罪に対する刑罰ではありましたが、イエス様が十字架に着かれることの意味は、単にユダヤの、あるいはローマによって、重い残酷な刑罰を受ける、ということではありませんでした。
続く35節。
【35彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、36そこにすわってイエスの番をしていた。】
 これは、有名な預言の成就であります。詩篇22篇18節に書かれた「彼らは互いにわたしの衣服を分け、私わたしの着物をくじ引きする。」という御言のことです。そして、イエス様が息を引き取られる際に口にされた「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」という「わが神、わが神、何故わたしを捨てられるのですか」という言葉は同じ詩篇22編の1節になります。さらに、マタイ27章39節、
【39そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって40言った、】 そして43節。
【43彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。】と言う、人々のあざけりは、同じく22篇7節8節にある【すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ、主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」】と歌われています。その預言が、まさにそのままに実現したことでもありました。
 
ここで、十字架のイエス様に向けられた、ののしりに内容を見てまいりたいと思います。
【39そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって40言った、「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」。41祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、42「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。43彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。】
 40節、まず、前提として誰もイエス様の言葉を悟っていませんでした。神殿を打ち壊して三日のうちに建てる」というのは、生ける神の宮である、イエス様ご自身のことでした。十字架の死の後、三日目に甦ることの予言でありました。そして、彼らは言います。「もし神の子なら、自分を救え」と。神の子なら。これは、先週まで聞いてまいりました、荒野の誘惑、試練で、サタンが語りかけた誘惑の言葉そのものであります。自分の力で救われよ、という誘いであり挑戦でした。
 そして42節【42「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。】
他人を救う力をお持ちだと言うことを彼らは見聞きして知っていました。しかし、今降りたら信じる、という、印を求める典型的な不信仰を表しています、他人を救うことのできる方は、自らを救える力をお持ちでした。しかしそれは神の力であって、今ここで十字架にかかろうとされているイエス様は、人として。人の代表である第2のアダムとして、完全な従順により、罪なく神のお怒りを、裁きを身に受け、命を差し出すためにおられたのであります。43節は、
 【43彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。】
これも、サタンの第2の誘惑と同じ形です。神に信頼する、より頼むことと、神を試みることを混同していることが分かります。荒野でのサタンの誘惑の狙いは、御子イエス・キリストのヘリ下りの妨害でありました。人となられたイエス様を、不従順と高慢に導くための試みです。さらにその先にある真の目的は、十字架の贖いの阻止、ということでありました。そのサタンの企みを、人として、神と神の律法への完全な従順によって退けられたイエス・キリストは、地上での迫害の中、弟子を立て、奇跡と宣教を行われ、こうして完全に罪なく、十字架にたどり着かれたのであります。
 この十字架は、単に「罪なくして十字架で死なれた」という表現だけでは不十分だと思います。それは、冤罪による刑罰でも、事故のような死でもなく、主なる神による、人間の罪に対する裁きであります。神の聖なる怒りと呪いを、一身に受けて下さった。人なる神の御子の御姿でありました。そこには、なんら苦痛を和らげること無く、屈辱を紛らすことなく、罪による苦難の全てを余すところなく引き受けて下さった、キリストの測り知れない愛とあわれみが込められています。やがてきたる週末の裁きの前に、主ご自身がその苦痛を前取りしてくださり、この救い主への信仰による救いの猶予を与えて下さったのであります。キリストが受けられた、苦難の重さと、意味。その恵みを思い、この一回り、イエス様が示して下さった愛を思いつつ、歩んでまいりたいと思います。
 最後に、イザヤ書の53章をお読みして、その予言確かさをあらためて味わってみたいと思います。53章の3節から。
【【3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。
9 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。】

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