命の恵みを共に受ける

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命の恵みを共に受ける

 1同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、2あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。3あなたがたは、髪を編み、金の飾りをつけ、服装をととのえるような外面の飾りではなく、4かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。5むかし、神を仰ぎ望んでいた聖なる女たちも、このように身を飾って、その夫に仕えたのである。6たとえば、サラはアブラハムに仕えて、彼を主と呼んだ。あなたがたも、何事にもおびえ臆することなく善を行えば、サラの娘たちとなるのである。
 7夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。ペテロの第一の手紙 3章1節から7節

 「1同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、2あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。」
 ペテロの第一の手紙、3章1節2節の御言でございます。2章の後半以降、ペテロは、異教徒の中で暮らすクリスチャンに対し、社会での具体的な生き方、姿勢を教えてきました。最初は、人の立てた制度。この世の権威に従うことでした。その後続いて、召使や従業員に対して、主人に従うことについて語りました。ここからは、家族。特に夫婦間におけるそれぞれの姿勢、生き方についての教えに入っていきます。
 その前に、この世での寄留者であるクリスチャンの立場や、与えられた恵みと希望の豊かさについての確認、キリストの救いの御業の確実なことや、あらゆる苦難に従順であられたイエス様の御姿を示してきました。そして、服従する、ということについて、まずは国家において。次に社会、働く場において。そして最後に家庭における服従と、広い範囲から焦点を絞るように、日々の生活へとその教えを進めてきたところになります。

 3章の1節は「同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。」と、「同じように」という言葉で始まっています。何と同じようにか?と言いますと、それは、これまで教えられた2つのこと。つまり国家・政治と社会・雇用関係でもいいです。これらと同じように、ということです。まず、前者は2章13節から15節。
「あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。あるいは、悪を行う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい。善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じるのは、神の御旨なのである。」
そして、2章18節をお読みしますと
「僕たる者よ。心からのおそれをもって、主人に仕えなさい。善良で寛容な主人だけにでなく、気むずかしい主人にも、そうしなさい。」
 特に、18節の「僕たるものよ・・仕えなさい」と3章1節の「妻たるものよ・・仕えなさい」という書き方は、文法的に全く同じ形になっています。この2カ所の「仕えなさい」と言う言葉は以前にも触れましたが、13節の「従いなさい」と全く同じ言葉です。仕えると言うと、助けたり世話をしたり、という印象もありますが、もっと強い服従をいみすることばです。個人的関係での服従というと、厳しいとか、悪くとらえると差別的、と言うことになるかもしれません。個人的な関係を表すときに、少し和らげて翻訳したのかもしれませんが、元の意味は服従する、従うという意味です。
 もう一つ、この服従が意味するところは、権威に従うということです。逆の場合には使われません。教師が生徒に従うとか、親が子に従う、と言う、一定の権威関係が逆の場合には使われない言葉です。与えられた権威関係に従って、ということです。その上で、組織や人に、ただひたすら盲従するということではなく、その権威を尊重する、と言う意味です。権威の所在が意味するのは、あくまで、役割の違いということになります。優劣や上下では決してないことも押さえておく必要があります。病気のことは医師に従いますが、その医師も税金のことは税理士に従います。勉強は教師に従いますが、英語の教師が数学の教師より偉いわけではないように、様々な領域があり、それぞれに権威と責任があるということです。
この世界の全ては、神様が秩序をもってお造りになりました。そして天地の全ての権威の源が、造り主なる神様にあるからです。その意味で、主が立てられた権威。許された権威に従うように、と言うことを教えています。家庭において、夫には権威が委ねられると同時に、責任も存在することになります。

 そこで、13節では従うことは「主のゆえに」と根拠を述べていました。17節でも「神を畏れて・・王を尊びなさい」と書かれています。そこから18節の「心からのおそれをもって、主人に従いなさい」という教えに繋がります。この「畏れ」という言葉は同じ単語です。この畏れる、と言う言葉が3章1節から2節でも出てきます。1~2節に「畏れる」とは書かれていませんが、実は2節の「うやうやしく清い行いを見て」という、「うやうやしい」と訳されているところが、17,18節の「畏れる」と同じ言葉です。畏れるは「かしこみ敬う」ことですから「うやうやしく」と訳されていますが、最近では儀式の際位しか、あまり使わない言葉になっています。「うやうやしく清い行い」だと、少し古い日本の道徳的な態度のように感じてしまいがちです。
ここを新改訳では「神を畏れる純粋な生き方」と訳しています。「清い」と言う言葉も、道徳的には純粋とか純潔を意味しますが、もともとは、神に属すること、聖なるという意味の言葉ですから、ここでペテロが妻たちに求めているのは「神を畏れる、神の民としての生き方、ふるまい」と理解すると分かり易いと思います。
 18節では、僕たちに畏れをもって、主人に従う。それも善良な主人だけでなく、気難しい、公正でないような主人にも従うように教えていました。それは、善を行って、苦しみを受けても、神を仰いで耐えるなら、それが神様のよしとされることだからです。その模範となるのが実に、イエス様のご生涯でした。
 同じように、妻たちにも夫に従うように教えられます。それも、「御言に従わない夫であっても」です。御言に従わないというのは、理解できないとか過失的にではなく、直訳すると「不服従をする」といった積極的な不信仰のことを表しています。御言に真っ向から反対するような強い不信仰になります。しかし、「たとえ」万一、そのような夫であっても従うように、との教えですが、やはりただひたすら服従する、盲従するということでないことは分かると思います。
 すでに、世の一切の権威の源が主にあることは申し上げました。それは、世のあらゆる権威に従う時の絶対条件を定めています。つまり、以前にも聞いた通り「神様に対する罪を求めること以外」従わなければならない、と言うことでした。15節では「善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じるのは、神の御旨なのである。」と言われました。3章では妻たちの、服従する無言の行い。しかし、それは「神を畏れる、聖なる生活」です。ですから、その妻の振る舞いを見た、不信仰の夫が「救いに入れられるようになる」と言われています。
 「救いに入れられる」というのは、少し意訳で、この言語は「獲得する、儲ける、自分のものにする」と言う意味の言葉で、それが受け身になっています。すると「神のものとされる」と言う意味になります。妻たちの振る舞い、生き方を「見る」注意深く観察するという意味なので、やはり日々、長く見ていること。神様を畏れ、かつ喜ぶ信仰生活。主にある愛、神への愛と隣人への愛と従順に長く触れることで、やがて神のものとされる。夫に従うのは正に不信仰の夫の救いの為である、と教えられているのであります。
 
 続いて3節から4節に進みます。
「3あなたがたは、髪を編み、金の飾りをつけ、服装をととのえるような外面の飾りではなく、4かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。」
 ここでは、妻の美しさ、と言う点に焦点を合わせてきました。それを「飾り」という言葉に象徴させています。最近は男性も美容の意識がとても高いようですが、一般的に女性が何らかの美しさを求める、あるいは求められる存在として説明されています。
 結論としては、まず内面が大切である、という、非常に道徳的な話になります。外面の飾りを否定しているのではなく、第一は内面であるという比較の話です。しかし、それは根源的な問題であります。ただ、心とか性格。あるいは人間性が大事、というこの世的な道徳性とは少し違います。「霊という朽ちることのない飾り」と述べているとおり、内なる人とは、霊的な側面のことです。しかも、朽ちることが無い霊ですから、救われた魂であることが分かります。ただの人間的な内面、心だと考えると、自分の内側がいかに汚れているかを思い知るしかありません。それこそ外面は飾れても、心は飾れません。
 ですから、ここで教えているのは、救われた霊。御霊によって主が住んでくださるところの私たちの内側です。主がつかまえていて下さる、住んでいて下さるところ。すなわち、主を信じる信仰の心であり、主への信頼であります。その信仰から生まれる柔和。そして「しとやかな」というのは穏やかな、と言う意味です。その心が、神のみ前に尊いということになります。
 そして、5節6節では、
「5むかし、神を仰ぎ望んでいた聖なる女たちも、このように身を飾って、その夫に仕えたのである。6たとえば、サラはアブラハムに仕えて、彼を主と呼んだ。あなたがたも、何事にもおびえ臆することなく善を行えば、サラの娘たちとなるのである。」
3~4節の内面の飾りの教えを、強化するように、多くの人が知る歴史上の人物を例に出しています。アブラハムが信仰の祖、民族の祖先と言われるように、サラもまた神の民の母でした。そのサラがアブラハムを主と呼び、従ったとしています。確かにサラは、アブラハムと共におられた主なる神様を知り、その主に信頼して従ったアブラハムに、従っていました。彼女もまた、主に信頼し、主が選ばれたアブラハムを尊重したのであります。
サラの娘となる、と言うことは信仰の母の娘にされるということになります。何事にもおびえ臆することなく。ここに「神を畏れ」の畏れるという言葉が使われていますが、怖い、と言う別の意味で使われています。「恐ろしいことを怖がることなく」善を行う。主のご摂理を確信して、何事も受け入れて従う。主への全き信頼を常に心に据えたいと願うものです。

最後に7節をお読みします。
「7夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。」
 1節から6節まで、妻に対する教えでしたが、この7節で夫への短くかつ力強い教えが行われています。三つのことが言われていますが、その第一は「尊敬しなさい」という命令です。直訳すると「尊敬するものでありなさい」となります。それも、弱さを認識した上でということ。当時は、より社会的な立場としての女性の弱さも現代より露骨でした。また弱さの中には、物理的、肉体的な強弱もあります。神様が男性と女性とを違うものとしてお造りになっていることは事実です。「女は自分より弱い器」と表すことで、男性もまた土の器であり、神様に作られた存在であることを思い起こさせています。
 しかし、それは強弱であって優劣ではないということです。「いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として」尊ぶように。先に男女の違いを述べて、次に、その違い以上に、同等性を強調しています。霊的な特権と永遠における重要性において、男女は全く同等だということです。共に神のみ前に立って、御国の資産を受け継ぐ、共同の相続人であるのです。役割の違いと、同時に、身分と重要性が同等であることを、ペテロは教えているわけです。
 そして三つめは、このような正しい夫と妻の関係が保たれるのは、祈りが妨げられないように。つまり健全な、安定した信仰生活を送るため、ということになります。妻への理解と尊敬を捧げながら生活していくことなしに、神の御心に適う祈りは捧げられない、ということであります。
 さて、夫婦関係についての教えは、第一コリントやエペソ人への手紙5章に詳しく書かれていますが、ここでは簡潔、かつ明瞭に述べられています。それでも、ペテロとパウロの教えが同じものであることは読み比べるとはっきりします。根底には、神様と人との関係があります。そして夫婦はキリストと教会の関係にならって教えられていました。
 そこから、では夫のいない女性はどうするか、というと、純粋にキリストに従いなさい、ということになります。また、妻のいない男性はどうか。まず教会を愛しなさい、ということになるわけです。神さまがお造りになった秩序。立てられた権威。与えられた賜物。そして、それら全てを明らかに示して下さった、イエス・キリストの御生涯。教えと御業。この主に信頼して従うところから、この世での生活が豊か祝福されてまいります。御国での永遠の命の栄光。罪と滅びからの完全な救いだけではなく、世においても、その生活の中に、主は祝福の道を備え、教えて下さっているのであります。

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