月報2021年2月号 【神に戒められる人は幸い】
「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはならない。
主に責められるとき、弱り果ててはならない。
主は愛する者を訓練し、受け入れるすべての子を、むち打たれるのである」。ヘブル人への手紙 12章 5節から6節
♰ 説 教 「神に戒められる人は幸い」
現在、祈祷会ではウェストミンスターの小教理問答を基に、そこで引証されている聖句から聖書の
教えに聞いています。直近では、聖霊の有効召命によって、救い主キリストを受入れた者に与えられ
る、「祝福」について学びました。それは、この世で与えられるもの、また死の時に(個人的終末)、
そして復活の時(世界的終末)に与えられる祝福というように、三つの時に分けて説明しています。
その中で、この世における祝福として(御前に)「義とされること」、(神の)「子とされること」、
「聖とされること」の三つと、さらにそこから出てくる様々な祝福が教えられます。同時に、それら
は全て「価なしに与えられる」神の恵みの業であること。また終わりまで堅く保たれることが、はっ
きりと宣言されています。特に繰り返される「価なしに」と言う言葉は、私達が祝福を受けるに何ら
値しない者であることを、決して忘れてはならないと念押しされています。義も聖も子とされること
も、豊かに与えられる祝福は、全て神の一方的な恩寵であって、恵みの豊かさ故に、それを自らの誇
りとするとすることを厳に戒めていると言えます。それ程に私たちは、自分中心で、自分を過剰に肯
定したい欲求が強く、主の栄光を自らのものにしてしまう誤りに陥りやすい、罪の内にある存在だと
いうことです。
そのような私たちを、造り主、支配主である全能の父なる神が、自らの一人子の血を十字架に流し
てまで子として下さった、その大きな愛を覚えて感謝致します。子とすることは、相続人とされるこ
とで御国を継ぐものと言われます。擬人法的な表現ですが、親が跡継ぎの子を愛するごとく私たちを
愛し、私たちが主を「わが父、わが神」と呼ぶことを許されました。そして天国の豊かな財産を約束
して下さっています。それは永遠の命であり、神との交わり、時代を超えた全てのキリストの民と共
に、永遠に主を喜び、讃える栄光と幸い。人間が創造された本来の目的である姿の実現であり、最大
の幸福です。このような祝福が約束され、既にこの世において与えられているのであります。
ただし、神が私たちを子とされることの中には、子として訓練され、懲らしめられ、戒められるこ
とも含まれています。子とされることについて、ウェストミンスター信仰告白(12章)ではより詳細
に、子として訓練されるということを明言しています。表記の御言は、その引証聖句でもあります。
このへブル人への手紙の御言は、旧約聖書のヨブ記5章17節と箴言3章11~12節から引用され
ています。ヨブ記では「戒められる者は幸いだ」と言い、箴言では「戒めを嫌ってはならない」なぜ
なら、それは主の愛の証しだ、と言うことが教えられます。本当に耐え難いような様々な困難、辛苦
を与えられるということも、また真実であります。
しかし、「神は愛する者を懲らしめられるが、決して捨て給わない」ことも約束されます。哀歌の
3章。特に31節にはっきりと記されています。自らでは乗り越えようのないような試練の中でも、
耐え忍び、主に信頼し、主を呼ばわる者に主は御手をのばし救いあげて下さる。決して捨て給うこと
なく、終わりの日に御国を継ぐまで導き給うのです。この真の父の愛を覚えて、一時のこの世の困難
の中でも、主を讃美する幸いに与れるよう、聖霊のお支えをお祈り致します。 (土井浩 牧師)