月報2021年6月 【熱心と、準備と、祈りをもって】
『わたしの目を開いて、あなたのおきてのうちの くすしき事を見させてください。』詩編 119篇 18節
♰ 説 教 「熱心と、準備と、祈りをもって」
詩篇119篇は詩篇の第五巻にあります。第五巻全体の主題は「讃美とは何か」ということで、119篇は、御言葉への讃美です。神への讃美は御言葉による、御言葉から来ることを歌っています。ここから私たちが、どのように御言葉を読み、また聞くかということを教えられたいと思います。
ウェストミンスター小教理問答の90問で「御言葉が救いに有効になるために、それはどのように読まれ、聞かれなければなりませんか?」と問われます。この問に対して、聖書から導き出された答は「御言葉が救いに有効となるために、私たちは、熱心と準備と祈りをもってそれに傾聴し、信仰と愛をもってそれを受け入れ、心に蓄え、生活の中で実践しなければなりません。」というものです。
御言葉、つまり聖書の朗読と説教により、人を回心させ、信仰を通して、きよめと慰めのうちに成長させるのは、神の御霊である、ということが同問答の89問で示されています。標記の詩119篇も「わたしの目を開いて・・下さい」と神様の御前に願う祈りです。そして、わたしの目を開いて下さるのは聖霊です。御言葉が有効になるのは、御言葉を照らし、私たちの心の目を開いて下さる、聖霊の御業であることが前提です。そのうえで、私たちがどのように御言葉に聞くべきかが、90問で教えられています。
まず、「熱心と、準備と、祈りをもって」と教えられます。熱心に聞くことは、御言葉を慕い、愛し、喜んで、期待して、また畏れつつこれに聞く、と言う姿勢です。聖霊によって目が開かれた者には、まず、主なる神様がいかに熱心に私たちを招いておられるか。どれほどの犠牲を払って私たちを贖って下さったかが知らされます。この主ご自身の熱心。キリストにある大きな愛を知らされて、私たちはお応えせざるを得ないのです。それも、自由に、喜んでお応えしたい、という心に導かれます。
ですから「準備」も必要です。準備はあらかじめ備える事ですから、時間がかかります。聖餐に与る際に自己吟味が求められるように、御言葉に聞く前に準備する。家庭においては一日の、礼拝に際しては六日間の、この世での働きから解放され、心と体を整える。準備の一時を持つことで、この世の喧騒から切り離され、心静かに、熱心に御言葉に聞くことがかないます。聖別されると言うことにも繋がります。
そして「祈りをもって」聞く。祈りは信仰生活の中心です。私たちが祈れること自体、聖霊のお働きの証しです。聖霊は私たちの魂の奥深くまで探られます。私たちの祈りは聖霊によって、イエス様を通して父なる神のみ前に届けられます。三位一体の神様との恵みの交わりです。それゆえ、御心に適う祈りには真の力があります。
特に、御言葉を語る者のために祈る。大伝道者パウロも、自分のために祈ってほしい、と頼んでいます。主が召され、立てられた者も、欠けのある弱き器です。その不十分な「朗読」を「説教」を、聖霊が働いて下さり、用いて下さるように。また、聞く私たちの心が、まことの神様の言葉として、信仰と愛をもって、これを受け入れることができるように。これが、御言葉に聞く時求められる祈りであり、この祈りは、実際に力を発揮する祈りです。語る者、聞く者を支え、私たちに主なる神様の祝福が、流れ込むための管。給水管のようなものと言えます。
表記の詩119篇18節は、御言葉を「祈りをもって読み、また聞く」、その大切さを教える引証聖句となっています。そして、聞いた御言葉を「心にたくわえ」「生活において実践する」。次回は、これについて御言葉に導かれたいと思います。 (土井 浩 牧師)