月報2021年3月 【万物を賜る主の愛】
「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたち全ての者のために、死に渡された方が
どうして、御子のみならず万物をも賜らないことがあろうか」。ローマ人への手紙 8章22節
この御言は、主なる神様の、あまりにも大きな愛の、測りがたい恵みを宣言しています。同時に、キリストにあって、その愛が信じる者に注がれていることが教えられます。何という幸いでしょうか。この御言が教えていることは、自分の欲求に基づいた「望みが何でも叶う」といった御利益のことではありません。実は、ずっと、はるかに大きな「御利益」のことを言っているのです。
聖書は、神様が世界の全てを「はなはだ良く」創造されたことを証ししています。しかし、世界は人間の罪によって、茨とアザミを産む、人が苦しむ世界へ変化してしまいました。それでも、神様は永遠のうちに、愛の救いのご計画を立てておられ、その実現の為に、自らの一人子、イエス・キリストを犠牲にされました。そして今や「万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物のかしらとして教会に与えられ」(エペソ1:22)たのです。この教会はキリストの体であり、キリストを信じる一人一人はその体の一部であって、既にキリストと一体とされているのです。
全能の神、主なる神様の御心は必ず実現します。逆に、神の御心に無いことは、現実には何一つ起こり得ないことも真実です。神様の言葉である聖書に聞いて、キリストを信じる信仰を与えられた者は、信じて従おうと生きるうちに、聖霊のお働きで、キリストに似た者へと徐々に変えられます。私たちの願いは神様の御心に近づけられ、御心にかなうものとされていきます。その願いごと御心と同じくされていくのです。「あなた方のうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとするところだからである」(ピリピ2:13)と言われます。ですから、「万物を賜る」という御言は、まさにその通りです。自分勝手な欲求を満たす願いではなく、神様の御心がなるのです。そして、それが、私たちの魂が求める、本当の願いだということです。
ただ、私たちがこの世にある間は、充分に御心にかなうことはできません。またそれを完全に知ることもかないません。伝道者パウロも、自らの体に与えられた「とげ」を取り去って下さるように、三度も主に祈りましたが、それはかないませんでした。その代わり主が示された言葉は「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。」と言う教えでした。
神様の御心は、私たちの思いや、欲求や、考えを超えて、万事を益として下さるために働かれます。それは、天国での永遠の命へと私たちを導き通します。天と地、この世と来るべき世の全権を委ねられたキリストのご支配を信じる信仰により、その愛の御手の内に置かれていることを覚えて、主のなさること、なさらないこと、全てに信頼して、畏れて、受け入れて、感謝して歩むことができるのです。
キリストの血によって贖い取られた私たちには、そのキリストの愛が流れ込み、取り囲み、決して手放されることはありません。この主の愛を覚えて、この世の一時の困難、思い通りにならない事も、主に委ねて、安心して御言に聞き従う生活が守られますよう、聖霊の導きとお守りとをお祈り致します。
(土井 浩 牧師)