遊女ラハブの信仰

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遊女ラハブの信仰

8) ふたりの人がまだ寝ないうち、ラハブは屋上にのぼって彼らの所にきた。
9) そして彼らに言った、「主がこの地をあなたがたに賜わったこと、わたしたちがあなたがたをひじょうに恐れていること、そしてこの地の民がみなあなたがたの前に震えおののいていることをわたしは知っています。
10) あなたがたがエジプトから出てこられた時、主があなたがたの前で紅海の水を干されたこと、およびあなたがたが、ヨルダンの向こう側にいたアモリびとのふたりの王シホンとオグにされたこと、すなわちふたりを、全滅されたことを、わたしたちは聞いたからです。
11) わたしたちはそれを聞くと、心は消え、あなたがたのゆえに人々は全く勇気を失ってしまいました。あなたがたの神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるからです。ヨシュア記 2章 8節から11節

<あなたがたの神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるからです>


今日もみ言葉に聴いて参りましょう。


 


マタイによる福音書の冒頭に出てくるイエス・キリストの系図、そこに特別に名を記された5人の女性について、み言葉に聴いておりますが、今日はその2人目、エリコの町の遊女ラハブについて、み言葉に聴いて参ります。


ヨシュア記はモーセの死後、後継者となったヨシュアがいよいよイスラエルの民を、神さまの約束の地へと導いていく物語です。そして今日取り上げた箇所は、最初の戦いの地エリコを探るために斥候を放った時の出来事であります。


物語を見て参りましょう。ヨシュア記21節前半。


 


<ヌンの子ヨシュアは、シッテムから、ひそかにふたりの斥候をつかわして彼らに言った、「行って、その地、特にエリコを探りなさい」。>


ヨシュアは、エリコの町を探るために2人の斥候を放ちました。2人はラハブという遊女の家に入り、そこに泊まりました。遊女の家なら他所者が泊まっても怪しまれないでしょうし、いろいろうわさ話の集まる所でありますから、情報を得るにも最適な場所ということでありましょう。


しかし、22節~3節。


 


 <2)エリコの王に、「イスラエルの人々のうちの数名の者が今夜この地を探るために、はいってきました」と言う者があったので、3)エリコの王は人をやってラハブに言った、「あなたの所にきて、あなたの家にはいった人々をここへ出しなさい。彼らはこの国のすべてを探るためにきたのです」。>


斥候の2人がラハブの家に入ったことは、エリコの王の知るところとなりました。王は2人を捕らえるために、兵士を遣わしました。246節。


 


<4)しかし、女はすでにそのふたりの人を入れて彼らを隠していた。そして彼女は言った、「確かにその人々はわたしの所にきました。しかし、わたしはその人々がどこからきたのか知りませんでしたが、5)たそがれ時、門の閉じるころに、その人々は出て行きました。どこへ行ったのかわたしは知りません。急いであとを追いなさい。追いつけるでしょう」。6)その実、彼女はすでに彼らを連れて屋根にのぼり、屋上に並べてあった亜麻の茎の中に彼らを隠していたのである。>


ラハブは大胆にも2人の斥候を 屋上の亜麻の茎の中に隠しており、何食わぬ顔をして彼らはもう出て行った、今なら追いつけるだろうと、兵士達を欺いたのであります。


 そして兵士達って後2人の下に来て告げたのが、先ほどお読み頂いたところです。エリコの人々は、イスラエルの民がエジプトを出るとき、そして荒野を旅するあいだに主なる神さまのなさったことを知って、恐れおののき意気消沈しているというのです。そして、21213節。自分が2人の斥候を王の手の者から匿い、助けたのであるから、あなたがたも私と私の親族を助けてほしいと、願いました。214節。


 


<14)ふたりの人は彼女に言った、「もしあなたがたが、われわれのこのことを他に漏らさないならば、われわれは命にかけて、あなたがたを救います。また主がわれわれにこの地を賜わる時、あなたがたを親切に扱い、真実をつくしましょう」。>


2人の斥候は彼女が自分たちのことを漏らさないならば、やがて主がこの地をわれわれに賜る時、彼女を親切に取り扱うことを誓います。


ラハブは彼らに追っ手に合わないように3日間山に隠れてから去るように伝え、彼らを窓から綱でつりおろしてやりました。21821節。


 


<18)われわれがこの地に討ち入る時、わたしたちをつりおろした窓に、この赤い糸のひもを結びつけ、またあなたの父母、兄弟、およびあなたの父の家族をみなあなたの家に集めなさい。19)ひとりでも家の戸口から外へ出て、血を流されることがあれば、その責めはその人自身のこうべに帰すでしょう。われわれに罪はありません。しかしあなたの家の中にいる人に手をかけて血を流すことがあれば、その責めはわれわれのこうべに帰すでしょう。20)またあなたが、われわれのこのことを他に漏らすならば、あなたがわれわれに誓わせた誓いについては、われわれに罪はありません」。21)ラハブは言った、「あなたがたの仰せのとおりにいたしましょう」。こうして彼らを送り出したので、彼らは去った。そして彼女は赤いひもを窓に結んだ。>


彼らは赤い糸の紐をラハブに与えて、自分たちがこの地に討入る時、ラハブの父母、兄弟、および父の家族をみなラハブの家に集め、この紐を、自分たちを釣りおろした窓に結び着けるように言いました。その家の中にいる者の命を助けるという誓いでありました。


このようにして、2人の斥候はその使命を果たしたのであります。


 


実にスリリングな物語です。西洋の絵画にも、このドラマティックなシーンが取り上げられています。しかし、これは単なる戦記物語ではありません。聖書として私たちに与えられたものです。面白さや歴史への興味に終始するものではないのです。


 


では、聖書とは何について書かれたものでしょうか。


WSCQ3「聖書はおもに何を教えているか」の答えは「聖書は、おもに、人が神について信じなければならないことと、神が人に求められる義務は何であるかを教えている」とあります。何を信じ、何を為すべきかです。


では、この物語のテーマは何でしょう。


 


ヘブル人への手紙1131節(新約356頁)。


<信仰によって、遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたので、不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった。>


信仰によって遊女ラハブは、探りにきた者たちをおだやかに迎えたのです。おだやかに=エイレネー( ειρηνης )=平和のうちに、少々訳し方が難しい単語ですが、ラハブはイスラエルの斥候の側に立ちました。彼女はエリコの民ですから、本来敵の斥候を王の手の者に引き渡すはずでした。しかしそのようにしなかったのは、「あなたがたの神、主は上の天にも、下の地にも神でいらせられるからです」という信仰が与えられたからであります。


エリコの民は、同じように主を恐れていました。怯えていました。しかしそこに留まっていました。また王のように自分たちの力で戦おうとしていました。しかしラハブは斥候を匿うことで主なる神さまの側に身を置いたのです。王に背いて斥候を匿い、それがばれたら自分も、親兄弟も殺される、まさに命がけの冒険をして神様の側に立ち、自分と親族を救ってほしいと訴えたのであります。ラハブはイスラエルの神、主こそがまことの神と信じたのであります。そして自分たちの滅びが迫っていること、助かる道は主なる神さまにすがることしかないという確信を得たのです。だからこその大胆な行動です。王の手の者が来た時に、怪しまれることもなく落ち着いて彼らを欺いたのです。一介の遊女、学者でも祭司でもない彼女にそれほどの信仰による確信を与えたのは、決して人間の知恵ではなく、上より与えられた信仰でありました。


 


もう一カ所ヤコブの手紙225節(新約362頁)。


<同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時、行いによって義とされたではないか。>


とあります。主なる神さまを信じた、信仰を与えられたラハブは、すぐさま行動に出ました。斥候を匿い逃がし、そして自分たちを救ってくれるように願ったのであります。


ラハブの信仰と行動には一瞬のためらいもありません。信じて直ちに神様の側に立ち、自らの救いを求めたのです。そして、エリコ陥落の日、斥候の言葉を信じて窓に赤い糸の紐を結んだ部屋に、父母、兄弟、父の家族と共に入り、助け出されたのであります。神さまの裁きが下り、イスラエルによって滅ぼしつくされたエリコの町で、彼らだけが命を長らえることができたのです。


 


この物語は歴史物語、戦記物語でありますから、私たちはうっかりすると歴史小説を読むような心持ちになってしまいます。エリコの住人に思いを馳せたりしそうです。しかし聖書としての骨格は実に明解です。


カナンの地にはそこに住む人々の行いによって、神の裁きが下っていました。ソドムが硫黄と火によって焼き尽されたように、カナンはイスラエルの民によって滅ぼされるのです。その中で一人、上よりの信仰を与えられたラハブが果敢に行動し、自分自身と親族を救ったのです。


 


このように見たら、私たちにとっても歴史のかなたの遠い出来事ではありません。まさに私は、あなたは、ラハブですか、それともエリコの住人ですかということです。


人は、罪によって滅びに定められているのです。これが大前提なのです。その中で、神さまがみ心のままに、愛と憐れみを持って救いに召してくださる者がいるのです。ラハブは救いに召されました。彼女は徹底した恐れの中で神さまを知りました。それと同時に、この方にすがれば救われるという確信を与えられました。(私もそうでした。あるとき突然「あかん!この状態で死んだら地獄行きや!」と思ったのです。思ったというのか悟ったというのか、心に強い衝撃を受けてイエス様にすがったのです。回心。実にそれまでの生き方、価値観から、ぐるっと神さまの方に向けられる、そういう瞬間がありました。ここにおられる兄弟姉妹方それぞれに、ご自身の回心の瞬間があったのです)


 


ラハブは私です。ラハブはあなたです。


ラハブは主なる神さまを知り、神さまにすがって命を得ることを望んだとき、エリコの町を捨てました。何に従って生きるか、どこに身を置くか。一つしか選べません。神さまに従い、神さまのみ心に従って歩むなら、地上の価値観、地上の掟には歩めません。


エリコ攻略における遊女ラハブの物語は、遥かな昔、槍や刀でのむき出しの戦いの時代の出来事です。しかし一見おだやかな私たちの生活においても、原理は同じです。神様の選び、信仰の決断と行動。あなたは、私は、どちらにつくのか。滅びにつくのか、救いに与るのか。ラハブの物語の激しさは、自分の信仰の生温さに、活を与えるものでありました。 (以上:滝田善子 教師)

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