神の住まい

問い合わせ

神戸市のプロテスタント教会 日本キリスト住吉教会のホームページへ戻る

神の住まい

(17)それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。
(18)というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。
(19)そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。
(20)またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。
(21)このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、
(22)そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。エペソ人への手紙 2章 17節から22節

Facebook礼拝動画↓ https://www.facebook.com/100048451219307/videos/251709716454067/


<(21)このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、(22)そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。>


 エペソ人への手紙2章21節と22節の、御言です。パウロはここで「あなた方も、神の住まいとなる」と言われているように、教会を、建物に例えて教えています。1章の終わりで、教会はキリストの体で、キリストが満ちているところだ、と教えられました。また16節まででは、キリストの十字架によって、律法による垣根、敵意が取り払われ、ユダヤ人と異邦人が一体となった、一つの体となった教会が示されました。


そこから、17節以降では、今度は教会というものを、一つの家族として、そして建物として例えて教えています。本日も御言から、教会の姿について導かれたいと願っています。まず、17節


<(17)それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。>


 そこから「彼は」という、「彼」はキリストのことであります。ここでは、ギリシャ語原文でも確かに代名詞が使われていますので、直訳で「彼」と訳しています。実は、キリストと言う単語は、13節の「キリストの血によって」と書かれたところから、20節の「キリスト・イエスご自身が隅のかしら石」というところまで、全く出てきません。ずっと「彼」という代名詞で語られています。ですから、口語訳は直訳的には正しいと言えます。ただ、なぜか14節だけは「キリスト」と意訳しています。逆に、新改訳や新共同訳では、「彼」と言う単語を全て「キリスト」と訳しています。14節以降、15節、17節、18節の「彼」を「キリスト」と表記しています。


 たしかに、意訳ではありますが、キリストとした方が、パウロの意図がより伝わりやすいように感じられます。どういうことかと言いますと、例えば18節


<彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。>


 この「彼」を「キリスト」と書きますと、より明確です。


「キリストによって、一つの御霊にあって、父のみもとに近づく」とこのように、三位一体の神様のご本質を源として教会が成り立っていることが、よりはっきりとわかります。


 22節も同様です。22節は「主」(キュリオー)と言う言葉が使われていますが、「主にあって、み霊によって神の住まいとなる」というように、ここでも三位一体の神様との密接なつながりが明かされていることが分かります。このように「彼」をキリストと、脳内で変換はできますが、意訳することで目にも明らかになり、理解を助けてくれると思います。


 さて、御言の内容に聞いてまいりたいと思います。ここでは第一に、教会はまずキリストから始まること。次に、キリストによって神の家族とされていること。そして、キリストの上に建てられた一つの建物、神のお住まいになるところである、と言うことが教えらえます。もう一度17節からお読みいたします。


<(17)それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。>


 この17節を直訳しますと、「そして、キリストは、来られて、宣べ伝えらた、平和を、遠くにいるあなたたちに」と言う感じです。ここでも先行する主の愛が示されます。この「来る」ということは、近づいてくる、出向いてきてくださると意味の言葉です。私たちが出向いたのではないのです。イエス様が、主が来てくださった。こんなに遠い私たちの近くに、ということでありす。そして御自ら宣べ伝えて下さった。この宣べ伝えるという言葉に中には、それだけで既に「福音を宣べ伝える」と言う意味が含まれています。まず、キリストが来てくださった。この主の愛を覚えて感謝しましょう。


 ここでは、遠いものを先にして、そこから近い者。つまりユダヤ人達ですが、順番が逆になっています。これは、後のものが先にという教えもありますが、パウロ自身が何より異邦人伝道に召されて、用いられてきた。その使命感からくる表現であるとも言えます。同時に、この異邦人への伝道によって、キリストの教会のより大きな奥義。世界への宣教、全ての国の民がキリストにあって一つという奥義が、実際の出来事として、歴史として明確に表されたということもあると考えられます。実際、パウロを含んだ多くの使徒、伝道者によって宣教は広められていったのですが、パウロ自身、伝道の主体は人ではない。イエス様ご自身である、ということをここで明言しています。


 確かに、人は召されて遣わされているけれども、御言によって伝えられているのは、信仰の目を開いていかれるのは、み霊の業だ、主ご自身なのだ、という告白であり、教えであります。これを覚えたいと思います。 続いて18節から19節


<(18)というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。(19)そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。>


 「彼によって」これは「キリストを通して」という意味でもあります。御父のみもとに至る、道は唯一イエス・キリストであって、その道に導くのも唯一の御霊であります。そして父なる神に近づくことができる。言われています。全能の主なる神様。父なる神、全き義なる神の、聖なる光の前で、私たち罪人は近づくどころか、本来顔を向けることさえかなわない、聖なる光の前に塵とされるようなものですけれども、キリストの義によって、キリストが大きな傘となってくださって、その傘の元で私たちを父の御下に、天の御国に招いてくださるのであります。


そのキリストの下では、全ての人は、他国人でもなく、寄留者・旅人でもなく、同じ天の国籍を持ち、一つの家族。肉の家族ではなく、神の家族。すなわち、教会とは霊の家族なのである、そして同じく御国の相続人とされている。それが教会の姿であると、教えられています。次に20章から22節


<20)またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。(21)このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、(22)そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。>


 前節までで、あらゆる人はキリストへの信仰によって一つ家族である、そのように教会が表されてきましたが、ここからは教会を建物に例えて、パウロの教えが続きます。この、建物に譬える教え方は、形を変えて度々使われています。第一コリント3章でも使われています。


 「あなたがたは」すなわち教会は、使徒たちや預言者たちを土台としている、と語られます。この使徒と預言者。預言者を旧約の預言者と解することもありますが、どちらも新約時代の使徒と預言者と言う解釈が妥当だと言われます。その理由としては、この後の3章5節が挙げられています。そこでパウロは「この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに掲示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである」といっております。また、第一コリントの1228節(271頁)で、「神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、」と語っています。従って、この土台としている使徒、預言者は新約時代、イエス様の後のもの達と言うことになると考えられています。


 それでは、使徒や預言者が土台である、ということはどういうことかと申しますと、それは、彼らに与えられた役目から分かります。使徒はイエス様から霊と力を授かり、キリストを証ししました。預言者は神の言、キリストによって明らかにされた預言を解き明かし、人々に語りました。彼らが土台であるということは、彼らが証し、宣べ伝えたところの福音。すなわち、聖書が土台である。教会は聖書を土台とするということであります。教会を形成するこの世の様々な要素はありますけれども、その土台は聖書のみであって、土台から離れると建物は傾くのであります。


 そして、土台をさらに支え、土台足らしめているのがキリストであるということです。「隅のかしら石」というのは、土台をその下で更に固く支える基礎の石、礎石と言うことになります。


基礎からずれた土台は堅いようでも、やがてはゆがみを生じ、土台のゆがみは建物全体におよび、わずかな揺らぎで崩れてしまうものであります。キリストが動かない基礎として、その上に使徒、預言者からなるみ言葉の土台が据えられ、その上に教会が建ちあがっていく、と言うことであります。この順番が大切です。これを間違うと、土台より先に壁や屋根を作ると建物は立ちえないということであります。


 それでは、その教会の一員である私たちは一人一人何であるかと言いますと、ここでは教会としての建物全体としか表現されていなので、聖書を一カ所引用します。新約聖書367頁、「ペテロの第一の手紙 25節」です。


<この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい>


 生ける石であると言われています。当時の建物は石造りでしたから、建物に譬えられる中で、そのように石と言う無機物に譬えらえていますが、しかしこの石は生きている石。生きているから、有機的な命の繋がりと交わりを意味します。同時に、生き物ですから不完全で、弱りもすれば、しぼんだり、欠けることもあります。生ける石で建てられた教会というものは、この世にあって命あるうちは未完成なものだ、と言うことであります。


<キリストにあって、建物全体が組み合わされ>


という「組み合わされ」と言う言葉は、正に「組み合わされている最中」「進行中」であることを示す言葉です。


しかし、未完成ですから、逆に、成長もあるのであります。キリストを基礎とし、御言を土台とした教会は、御霊によって成長させられます。22節では、「霊なる神のすまい」と訳されていますが、ここは「御霊によって、神の住まいとなる」と訳すほうが多く、わかりやすいと思います。文語、新共同訳、新改訳も「御霊によって」「御霊により」としています。


 つまり、キリストにあって、御霊により聖なる成長があたえられて、神の住まわれるところとなるのであります。聖なる宮と譬えられるように、この世の教会は、小さく、弱く、またその建物が古く、貧相であっても、御言の土台と、その中心なるキリストを基礎として、ずれることがなければ、霊的成長によって、この世のきらびやかな宮殿にまさる、神の住まいとされるのであります。神の住まわれるところ、すなわち御国であります。やがて、召される、キリストの再臨の後に完成する御国。天国。その、この世における前味といわれます。どうぞ主がこの小さな群れを顧みてくださり、罪多き一人一人が生ける石として、御霊によって豊かに養われ、霊的成長が与えられますよう、願うものであります。 (以上)

2021年度 メッセージ一覧

ヨナに勝るもの

■イエス様は、預言者ヨナと、イスラエルの王ソロモンという、旧約聖書の二人の人物を引きあいに、ご自身と…

月報 2021年11月【誰が神の愛をさまたげ得るか】

 

まことの光が世に来た

■「初めに言があった」という有名な言葉で始まる「ヨハネによる福音書」の1章から、クリスマスの出来事に…

私たちは癒された

■有名なメシヤ預言、イザヤ書53章です。キリスト降誕の700年以上前に、彼のご生涯が予言されていました。■

必ず地に立たれる

■サタンの試みにより、大きな困難と苦しみを受けたヨブ。友人達との議論や神への問いかけの中に、やがて地…

月報 2021年10月【キリストは誰のためにご自身を捧げられたか】

 

心は舌に表れる

■ヤコブの手紙3章前半では、語るという行為の中に、信仰と行いの一体の大切さが教えられます。

生きる信仰

■ヤコブによる手紙の2章後半、手紙のメインテーマ「信仰は行いと共に働いて生きる信仰になる」ことが教え…

憐みは裁きに勝つ

魂を救う力

■イエス・キリストの兄弟ヤコブが記した手紙は、試練と誘惑の中で弱っていた人々を励まし、導くものでした…

全ての善い贈り物

■ヤコブの手紙1章9~18節から、試練に潜む誘惑と耐える力。神様が贈って下さる真の富について、教えられた…

試練を喜んで

■新約聖書中、最も早い時期に記されたとされる、ヤコブの手紙。イエス・キリストの兄弟が書いたこの手紙に…

主は聖霊によりて宿り

■これまで、マタイによる福音書の冒頭にあるイエスキリストの系図から、そこに出てくる5人の女性に着目し…

神は世界を憐れむ

■ヨナが神の言葉を叫んで回ると、ニネベの町中、王や高官まで主の前に平伏し、悔い改める姿を示しました。…

悔い改めの実現

■嵐の海に投げ込まれたヨナは、大きな魚に飲み込まれ、救い出されました。魚の腹の中で整えられたヨナは3…

ヨナの祈り

■荒れた海を鎮め、船員を助けるために海に投げ落とされたヨナは、神が備えられた大魚に飲み込まれます。そ…

御手はどこまでも

■神様の命に背き逃れようとしてヨナが乗った船を、神様が暴風をもって遮られます。今にも沈没しそうな中、…

月報 2021年9月【救いへの選びは無条件】

 前回「全的堕落」ということについて御言葉に聞きました。人はアダムの堕落以来「全ての部分で」悪くな…

神が遣わされる

◆紀元前8世紀。神様から、強大な敵国へ行って神の宣告を伝えるよう命じられた、預言者ヨナは、それを逃れ…

ここからの一歩

■ピリピ人への手紙3章から。私たちは人生において、ただ一つの目標を目指し進んでいること。その歩みが完…

月報 2021年8月【救いは神の御業】

 先月、ヤコブの手紙で「御言を行う人になりなさい」と教えられましたが、それは、神様の御心に適う事。…

主に仕えます

■ヨシュアに導かれて、主なる神が約束された地、カナンに入植を果たしたイスラエルの民に対して、ヨシュア…

信仰の戦い

■エペソ人への手紙の最終章から、信仰の戦いということについて教えられます。

第一の教え

■エペソ人への手紙6章から、パウロのは、親子関係、主従関係の在り方について教えていきます。

キリストと教会

■教会の一致をもたらす、クリスチャンの交わり。今朝は、その基礎となる夫婦関係について、キリストと教会…

聖霊に満たされて

■エペソ人への手紙5章から、今の時代を幸せに生きるために必要なこと。何を求めて、何を心掛けるかが教え…

光に歩め

■エペソ人への手紙5章から、クリスチャンに与えられて、約束されている幸いな生き方について、教えられた…

預言者ナタンの知恵

■マタイによる福音書冒頭のイエス・キリストの系図にある、5人の女についてみ言葉に聴いて参りましたが、…

月報2021年7月 【御言を行う人になりなさい】

◆先月は先月は、御言葉を語り、また聞くために「熱心と準備と祈り」を持つことの大切さを教えられました。…

喜ばれる捧げもの

■本日は、エペソ人への手紙5章から、神の愛される子供とされた、私たちの歩き方。神様が喜ばれる姿を聞い…

真実と愛とゆるし

■エペソ人への手紙から連続して聞いてまいります。クリスチャンの交わりに求められる事が教えられます。

新しい人を着る

■ペソ人への手紙から、連続して聞いています。キリストの体である教会の一員とされ、キリストの民、神の子…

月報2021年6月 【熱心と、準備と、祈りをもって】

◆詩篇119篇18節は、ウェストミンスター小教理問答の90問で「御言葉が救いに有効になるために、それはどの…

一つの体なる教会

■エペソ人への手紙に聞いてまいります。4章からは教会に求められる実践編に入ります。その入り口です。

愛を知る力

■エペソ人への手紙での、パウロの大祈祷問呼ばれる祈りから、私たちの内に働く力について、聖書にきいてま…

使徒の覚醒

■ペンテコステの日に、弟子たちに一斉に降臨された聖霊によって、彼らがどのように変わったか。使徒行伝か…

ルツの信仰

■マタイによる福音書の冒頭にあるイエス・キリストの系図。そこに記された女性たちを取り上げて,御言葉に…

聖霊が語らせるままに

■本日は「ペンテコステ」記念礼拝です。「聖霊降臨」の日とも言われ、この世の教会の始まった時とされてい…

月報2021年5月 【イエス・キリストの働き】

◆ここには、イエス・キリストが福音を宣べ伝えられたこと。そして癒しの業を行われたことが記されています…

すべての国へ行って

■マタイによる福音書の最後は、イエス・キリストによる「大宣教命令」と言われる言葉で締めくくられます。…

守れない誓い(2)

◆先週に続き「マタイによる福音書」5章から、イエス様による律法の解き明かしを聞いてまいります。本日は…

守れない誓い

■先に「殺すな」という教え(律法)について教えを宣べられたイエス・キリストは、続いて「姦淫するな」とい…

月報2021年4月 【安息日の恵み】

このイザヤ書の聖句から、神様が定められた「安息日」をどのように過ごすべきか、それがいかに幸いかを教…

律法は廃らない

◆有名な「山上の説教」で誤った聖書理解からくる価値観を、大きく転換させて見せられたイエス・キリストは…

安息日の讃美

■詩篇92篇は「安息日の歌、さんび」と題されます。この詩篇から、十戒の第三戒に示される神様を例はする態…

復活のキリストの説教

■十字架の死の後、墓に葬られて三日目に「よみがえらされた」イエス・キリストは、その後弟子たちに次々と…

イエスは甦って、

■十字架刑によって絶命されたイエスは墓に葬られ、大きな石で封がされました。しかし、日曜の朝、番人が見…

月報2021年3月 【万物を賜る主の愛】

■神様が私たちに「万物を賜る」と仰います。それは大きな恵みですが、そのようなことがあり得るのでしょう…

キリストを埋葬する

■キリストの復活をお祝いする「イースター」前の一週間は「受難週」と呼ばれます。まことの神イエス・キリ…

遊女ラハブの信仰

■【イエス様の系図に特別に記された女たち。神様は彼女たちはどのように用いられたのだろう。 今回はエリ…

従うことは犠牲にまさる

■イスラエルの初代の王、サウルはアマレク人との戦いに勝ちましたが、サムエルが告げた主なる神の命令に完…

神とみ言にゆだねる

■「使徒行伝」20章より、パウロがエペソを離れる際に、もう二度と会えないだろうと、長老たちを集めて語っ…

神の永遠の目的

■「エペソ人への手紙」3章から。神のさまの永遠の目的。キリストの教会の実現について、その恵みの豊かさ…

神の住まい

■初代教会が各地に建てられ始めたころ、まだ不安定な信徒たちに、キリストの教会がいかなるのものかをパウ…

月報2021年2月号 【神に戒められる人は幸い】

■聖霊によって、イエス・キリストを信じる信仰を与えられたものが賜る祝福。この世における三つの祝福の内…

敵意を取り除く

■「エペソ人への手紙」2章の後半から、当時の教会の構成要員であったユダヤ人と異邦人。その隔てを取り払…

教会を満たすもの

■エペソ人への手紙1章の後半です。1章の前半から、三位一体の神様による救いの御業と、救われた民としての…

罪に中にも漸進する恵み

■新約聖書マタイによる福音書の1章に記されたイエス・キリストの系図。父親の名前が列挙される系図の中に5…

主は倒れる者をささえられる

■『主はすべて倒れんとする者をささえ、すべてかがむ者を立たせられます。』 この詩篇145篇14節の御言は、…

耳触りのよい話を求める

■新年礼拝で聞いた「テモテへの第二の手紙」4章から続いて、御言を宣べ伝える心構えと困難さについて教え…

主がわたしに耳を傾けられる

■詩篇113篇から118編は「讃美の詩篇」です。ユダヤの季節ごとの祭で、神殿に詣でる人々の前で歌われた、神…

御言をのべつたえなさい

■新型コロナウィルスへ感染の解決がまだまだ不透明な中、あらたな一年が始まります。年初にあたりあらため…