第一の教え

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第一の教え

6:1子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。
6:2「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、
6:3「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。
6:4父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。
6:5僕たる者よ。キリストに従うように、恐れおののきつつ、真心をこめて、肉による主人に従いなさい。
6:6人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、
6:7人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。
6:8あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを、それぞれ主から受けるであろう。
6:9主人たる者よ。僕たちに対して、同様にしなさい。おどすことを、してはならない。あなたがたが知っているとおり、彼らとあなたがたとの主は天にいますのであり、かつ人をかたより見ることをなさらないのである。エペソ人への手紙 6章 1節から9節

「2:「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、3:「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。4:父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。」

 エペソ人への手紙、第6章2節から4節の御言葉です。パウロはここまで、キリストの教会に一致をもたらすために、様々に訓戒を述べてきました。それは、逆に当時の教会が、パウロが教えている内容にそぐわない、逆の状態に陥るような、混乱の中にあったということです。原因の一つは、当時の時代背景や、社会の問題もありました。特に、異国の異教徒の社会に置かれた中で、キリストが自らの血をもって買い取られたご自身の民、教会を、聖なるものとして、この世に固く立ち、成長を促すためのものでありました。その後の時代のように、まだ信条や教理が、教会内で文書として確立していない中での、御言葉による教えであったといえます。

 教会の一致と言いましたように、当時の教会の問題は、まず不一致ということでした。混乱と言ってもいいかもしれません。それがもたらされた原因は大きく二つあると考えられます。その一つは、ユダヤ主義と言われるもの。もう一つは、世俗主義とまとめられるでしょう。
ユダヤ主義は、割礼や儀式律法といった、ユダヤ教的な行の強制を、教会の中に持ち込みました。ユダヤ人の異邦人に対する優越性の誇示であり、キリストの福音に反する行為でした。これは異邦人に対する民族的差別とも繋がります。そのため、パウロは何度も、民族を超えた一致、一つの家族、一つの体ということを強調していました。それは、キリストにあって実現した、神の奥義であり、私たちは共にその恵みに与っているということを改めて宣言しました。
 また、世俗主義とは、逆に、真の神を知らない異教の社会の中にいるうちに、そこでは多数派であり常識であった生活慣習。真の神の教えとそぐわない慣習に流され、染まっていく姿。異教の教えや、ギリシャ的な哲学を混ぜ合わせることで、御言葉の教えを、違ったものに変えていこうとする状況でした。これらが、具体的にコロサイの教会において発生していたことが記されています。
 同時に、この世俗主義は、教会の人々の生活にも大きく影響を与えていたことが分かります。不品行、情欲に迷ったり、偽りを言ったり、他人を貶める、偽る。また盗む、不正な手段で富を得ようとする。そのようなことが、頻繁に行われており、また教会に人々の中にも、そのようなこの世の傾向に身を任せてしまっていることが見られた、ということがわかります。これは、今現在の私たちにも、あてはまる身につまされる内容です。神がいないことを前提と知る社会。しかし、多くの人は何かしら、自分に都合のよい、神様のようなものを、あがめているつもりのわが国に,私たちはいかされています。

 さて、パウロが、神が愛してくださって、子とされている、キリストの民の、生活の指針を示していく中で、具体的な交わりとして、先に夫婦の在り方について教えていました。夫はキリストが教会を愛されたように、妻を愛し、守りきよめる。妻は、教会がキリストに従うように、夫を敬うように、と教えられました。しかも「愛する」は、家族愛を表す「フィレオゥ」でも、恋愛や性愛を示す「エラオゥ」でもなく、主が私たちに示された「愛」「アガパオゥ」でした。また、5章の28節では、わざわざ「自分の妻」を愛さなければならない。と「自分の」という言葉を使っています。さらに、28節後半では、夫も、妻も単数になっています。ということは、逆に、自分の妻以外の妻というか、妻以外の複数の女性との関係を持つことが、心配されていたということであります。それが、いわば普通の、当たり前の社会であったということで、信徒もまたそのようなこの世の人々に、同化しつつあったようです。

 そこでパウロは、神の御旨、神様が喜ばれることを、わきまえるように勧めてきました。その教えは、イエス様が示された教えでした。その教えを、改めて悟り、聞き従うために、神が、永遠の滅びに至る道から、特別に選び分かち、救い出して下さった、キリストにおいて示されたその大きな愛を示し、キリストを仰ぎ見て、その愛に倣いなさい。御足跡を追って、歩めとの勧めでありました。聖書一カ所お読み致しましょう。
新約聖書317頁。コロサイ人への手紙3章13節から14節です。

「13:互いに忍び合い、もし互いに責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから。そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。14:これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である」

 そして、続いて、これを目指すために、15節前半と16節前半では、
「キリストの平和が、あなたがたを支配するようにしなさい。」そして「キリストの言葉をあなたがたの内に豊かに宿らせなさい。」

と教えられています。この世の不品行や貪欲、欲望に支配されるのではなく、キリストの平和に支配されるように。先週引用しました、ガラテヤ3章28節で教えられた、キリストにあって、民族、身分、性別を超えた一つにされているという事実。だから、お互いに従い合う、お互いに尊重し従順であるべき、との教えです。
 すなわちキリストにある平和に支配されるべきである。支配されるためには、キリストの言葉が私たちのうちに豊かに宿ってくださるように。聖書に聞いて、御霊に頼んで聞き従うということが、クリスチャンの生活の基本。前提であることが教えられてまいりました。エペソ人への手紙、後半の生活の実践編、聖徒の交わりについての教えでも、具体的な勧めの合間あいまで、繰り返し示されたのは、神様とキリストがいかに私たちを愛して下さっているか、という言葉でありました。

 さて本日の御言葉、先週の夫婦関係から、親子関係、そして主従関係に入ってまいります。まず、6章1節から4節をお読みいたします。

「1:子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。2:「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、3:「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。4:父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。」 

 夫婦の関係について教えたパウロは、続いて、親子関係。親子の在り方について教えていきます。まず、子供たちに、両親に従いなさいという勧めです。従うというのは、服従というより、もう少し柔らかい表現の言葉です。耳を傾ける、よく聞くという意味の従いなさいです。ここのポイントは2点あります。

 まず一つ目は、「これは<正しい>ことである」ということです。両親に従うことが正しいという、この正しさは、単に道徳的な正しさにとどまりません。この正しいという言葉は、神の義に背かず、神の戒めを守る、敬虔な正しさを意味します。その正しさの訳は、2節から3節に記された、第五戒の教えからきているということであります。ここで引用された第五戒は、十戒の内、神への愛が教えられる第一戒から第四戒に次いで、隣人への愛が教えられる、最初の教えになります。端的に言いますと「隣人の権威の尊重」です。主が定められ、主から賜っている隣人の権威の尊重であります。ですから、同じ五戒の教えとして、親子だけでなく、主従関係。ここでは主人と奴隷ですが、そのような広い社会的関係までを含んだ教えとなっています。

 主を源とする権威の尊重は、「第一の戒め」教えと言うように、隣人愛の最初に記されています。そして、この教えだけ3節にあるように、「理由」、主の祝福のお約束がつけられています。幸福になり、長生きする、という祝福です。元の申命記5章6節ではこう言われます。
「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が賜る地で、あなたが長く命を保ち、幸いを得ることのできるためである」ここでモーセに与えられた律法では、「主が賜る地」とされています。具体的には、主がアブラハムに約束の地と繁栄を約束され、その子孫に、約束通り与えられたカナンの地を指しています。
 この第五戒の教えは、主が歴史を通して働いておられること。主が真実な方であること。ただ、個人的な、今この時の私だけの問題ではなく、今の私たちに至るまで、代々、脈々と命を繋ぎ、長きに渡って守り導きいてこられた、主なる神様の永遠のご計画が、自らにおいて実現していることの証しであります。主の救いのお約束、恵みの契約は、時代を通し、歴史的に実行される御業であり、そのために繋がれた命。個人ではなく、常に神と共にある歴史的な存在としての人。また、交わりに中に生きる社会的存在として定められました。その意味で親として与えられた権威を尊重することの中に、主の祝福が備えられているのであります。このように、隣人愛における第一の戒めとして第五戒与えられました。
また、エペソ6章3節では「地上」とされています。かつてはカナンの地でありましたが、究極の救い主、イエス・キリストがおいでになった今、全地は全てイエス様のご主権のもとに置かれています。そのため、この世界において、というようにパウロは、あえて賜った地を、広く普遍化していると解釈されています。
 またこの祝福のお約束の主眼は「幸い」だということです、確かに、長生きもまた祝福ではありますが、ただ時間的な長さというだけではなく、それは、主なる神様の恵みの証しとして、祝福となるものであります。主の恵みの証しによる幸い。その意味で、恵みの内に召される時。クリスチャンはその人生に時間にかかわらず、死の時においても、より豊かに祝福されるのであります。このような第五戒の教え。子供たちに対する父母を敬え、という教えの中には、特段の主のお約束が添えられていることを覚えたいと思います。

 ポイント二つ目は「主にあって」ということになります。
 ただ、この世の親に盲従するというのではなく、主にあって従うということになります。親の権威と、またその義務の根拠が主にあることを覚え、それに聞く、というてんです。これは親に対する教えの繋がってまいります。
 そこで4節では、今度は親たちに対する勧めがなされます。4節に最初の「父たるものよ」の前には、訳されていませんが「και」が入っています。つまり、1節から3節に示された子供たちに命じられたのと、同じように、親に対する勧めもまた、主あって従うべき大切な教えだということになります。夫婦において、「お互いに」と言われたように、親子においても、お互いということが示されています。
 親への勧めは、子供を怒らせないで、主の薫陶と訓戒によって、彼らを育てなさい、と教えられています。親だからと言って理不尽に、力任せに服従させるものではないということが教えられます。これは、当時の社会では、家父長制度が厳しく、父親に認められた権威が大きいという、時代背景もあります。ここでは、「子供を怒らせないで」のあとに、「むしろ」とか「却って」という単語が入っています。力任せでなく、また個人的な権威ではなく、むしろ主の薫陶と訓戒によって、子供を育てなさい。薫陶は、訓練とも訳される言葉で、実際の行いによって。訓戒とは、言葉による励ましや忠告、叱責等を意味します。ですから、親は、主に従う行ないをもって、主の教えによって子供を育てるようにという勧めです。そのためには、まず親が主に学ぶことが求められているわけであります。

 続いて5節から9節です。
「5:僕たる者よ。キリストに従うように、恐れおののきつつ、真心をこめて、肉による主人に従いなさい。6:人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、7:人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。8:あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを、それぞれ主から受けるであろう。9:主人たる者よ。僕たちに対して、同様にしなさい。おどすことを、してはならない。あなたがたが知っているとおり、彼らとあなたがたとの主は天にいますのであり、かつ人をかたより見ることをなさらないのである。」

 ここから、主従関係について教えられます。
 ここで「しもべ」と訳されている言葉は「奴隷」という意味です。新改訳ではストレートに「奴隷」としています。当時の社会では奴隷制度が正式に法制化され、世界的にも奴隷という身分があり、主人が奴隷の生殺与奪に権利を持つというのが、当たり前の世界でした。ですから、パウロが奴隷制度に肯定的であったとか、批判がない、という指摘は当たっていません。むしろ、世界的に常識化していた社会の形態、身分制度について、いわゆる社会的活動というか、反乱を起こすような形ではなく、もっとその根幹をゆるがすというか、意味。その内側から無意味化するような教えを述べていくわけであります。
 5節から7節では、僕。つまり奴隷に対する勧めがなされます。まず、キリストに従うように、畏れて、つまり畏敬の心をもって、真心から主人に従いなさい。肉による主人というのは、直訳で、9節に「彼らとあなた方の主は天にいます」という言葉と対比させて、この世の主人。または地上の主人という意味をもちます。主人のご機嫌取りで上辺だけの務めではいけない。身分はともかく、キリストの僕なのだから、心から神の御旨を行う。これは、神様が喜ばれるような務め方をしなさい、ということです。快くとは、善意から、善意をもって仕えるという意味です。主人へつらう、主人の目を気にするより、神の目を気にしなさい。そうすることで人にではなく神に仕えるように務めることが適うという勧めです。
 8節ではパウロがすでに述べてきたように、身分に関係なく、主が報いられることを言っています。良い意味でも、また悪い意味でも主は公平に見られることを明言しています。天においては、地上の身分など全く関係ないのであります。

 9節からは、奴隷を持つ主人への訓戒ということになります。ここでも、「主人たる者よ」の前に「και」があります。ですから、ここまで奴隷、僕に求められてきたことと同じことが、主人にも求められるのだ、ということが、最初に示されます。そしてその通り、「僕たちに対して<同様に>しなさい」とわれます。やはり「お互いに」ということが求められます。つまり、主人も奴隷も、主なるキリストを畏れて、真心をもって、善意から、神様が喜ばれるように、相手に接しなさい。ということであります。脅すようなことをしてはならない。つまり、脅したり威嚇したりするようなことが普通に行われていたことが分かるのですが、イエス・キリストへの信仰を与えられ、キリストの教会員となったものにとっては、自分が奴隷の主人であるだけではなく、自らもキリストの奴隷であることが知らされているわけであります。そして、キリスト倣う、似たものにされるように、教会において御霊によってきよめられ、成長を目指しているわけであります。
 そこで「彼らとあなたがたとの主は天にいます」知っているでしょ、と念を押されます。更にその主は人を偏り見られない。つまり人を差別なさらない方であるが告げられました。

 聖書を一カ所引きます。ピレモンへの手紙16節。新約聖書341頁です。
「しかも、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のもの、愛する兄弟としてである。とりわけ、わたしにとってそうであるが、ましてあなたにとっては、肉においても、主にあっても、それ以上であろう。」

 これは、ピレモンの奴隷であったオネシモを、一時預かっていたパウロが、ピレモンに帰す際に書かれた言葉です。ここに至って、キリストにあっては全ての人々が、同じ兄弟姉妹であって、何の区別、差別のない一つの体であることが明らかにされています。

 キリストの教会といいましても、この世にあっては、罪と過ちを抱え、誘惑と迷いに揺れる存在であります。しかし、この一見か弱い教会を固く一つに保つものは、キリストにおいて表された神の愛あり、またキリストのご自身の民への愛であります。またその愛を私たちに悟らせ、キリストに結び付け、キリストを愛する心を与え下さる御霊のお働きです。では、私たちは何をすればよいか、この主の愛にどのようにお答えすればよいでしょうか。ヨハネによる福音書14章15節で、イエス様が次のように仰いました。
「もし、あなたがたが私を愛するならば、わたしの戒めをまもるべきである」
 どうか私たちが、イエス・キリストに御教えを、少しでも守る努力を続け、この世の混乱のなかで、固く立つことができますように。常に御言葉に聞く信仰生活と礼拝が導かれますよう祈ります。

2021年度 メッセージ一覧

ヨナに勝るもの

■イエス様は、預言者ヨナと、イスラエルの王ソロモンという、旧約聖書の二人の人物を引きあいに、ご自身と…

月報 2021年11月【誰が神の愛をさまたげ得るか】

 

まことの光が世に来た

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私たちは癒された

■有名なメシヤ預言、イザヤ書53章です。キリスト降誕の700年以上前に、彼のご生涯が予言されていました。■

必ず地に立たれる

■サタンの試みにより、大きな困難と苦しみを受けたヨブ。友人達との議論や神への問いかけの中に、やがて地…

月報 2021年10月【キリストは誰のためにご自身を捧げられたか】

 

心は舌に表れる

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生きる信仰

■ヤコブによる手紙の2章後半、手紙のメインテーマ「信仰は行いと共に働いて生きる信仰になる」ことが教え…

憐みは裁きに勝つ

魂を救う力

■イエス・キリストの兄弟ヤコブが記した手紙は、試練と誘惑の中で弱っていた人々を励まし、導くものでした…

全ての善い贈り物

■ヤコブの手紙1章9~18節から、試練に潜む誘惑と耐える力。神様が贈って下さる真の富について、教えられた…

試練を喜んで

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■ヨナが神の言葉を叫んで回ると、ニネベの町中、王や高官まで主の前に平伏し、悔い改める姿を示しました。…

悔い改めの実現

■嵐の海に投げ込まれたヨナは、大きな魚に飲み込まれ、救い出されました。魚の腹の中で整えられたヨナは3…

ヨナの祈り

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御手はどこまでも

■神様の命に背き逃れようとしてヨナが乗った船を、神様が暴風をもって遮られます。今にも沈没しそうな中、…

月報 2021年9月【救いへの選びは無条件】

 前回「全的堕落」ということについて御言葉に聞きました。人はアダムの堕落以来「全ての部分で」悪くな…

神が遣わされる

◆紀元前8世紀。神様から、強大な敵国へ行って神の宣告を伝えるよう命じられた、預言者ヨナは、それを逃れ…

ここからの一歩

■ピリピ人への手紙3章から。私たちは人生において、ただ一つの目標を目指し進んでいること。その歩みが完…

月報 2021年8月【救いは神の御業】

 先月、ヤコブの手紙で「御言を行う人になりなさい」と教えられましたが、それは、神様の御心に適う事。…

主に仕えます

■ヨシュアに導かれて、主なる神が約束された地、カナンに入植を果たしたイスラエルの民に対して、ヨシュア…

信仰の戦い

■エペソ人への手紙の最終章から、信仰の戦いということについて教えられます。

第一の教え

■エペソ人への手紙6章から、パウロのは、親子関係、主従関係の在り方について教えていきます。

キリストと教会

■教会の一致をもたらす、クリスチャンの交わり。今朝は、その基礎となる夫婦関係について、キリストと教会…

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■エペソ人への手紙5章から、今の時代を幸せに生きるために必要なこと。何を求めて、何を心掛けるかが教え…

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預言者ナタンの知恵

■マタイによる福音書冒頭のイエス・キリストの系図にある、5人の女についてみ言葉に聴いて参りましたが、…

月報2021年7月 【御言を行う人になりなさい】

◆先月は先月は、御言葉を語り、また聞くために「熱心と準備と祈り」を持つことの大切さを教えられました。…

喜ばれる捧げもの

■本日は、エペソ人への手紙5章から、神の愛される子供とされた、私たちの歩き方。神様が喜ばれる姿を聞い…

真実と愛とゆるし

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月報2021年6月 【熱心と、準備と、祈りをもって】

◆詩篇119篇18節は、ウェストミンスター小教理問答の90問で「御言葉が救いに有効になるために、それはどの…

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月報2021年5月 【イエス・キリストの働き】

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■詩篇92篇は「安息日の歌、さんび」と題されます。この詩篇から、十戒の第三戒に示される神様を例はする態…

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イエスは甦って、

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月報2021年3月 【万物を賜る主の愛】

■神様が私たちに「万物を賜る」と仰います。それは大きな恵みですが、そのようなことがあり得るのでしょう…

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■キリストの復活をお祝いする「イースター」前の一週間は「受難週」と呼ばれます。まことの神イエス・キリ…

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■【イエス様の系図に特別に記された女たち。神様は彼女たちはどのように用いられたのだろう。 今回はエリ…

従うことは犠牲にまさる

■イスラエルの初代の王、サウルはアマレク人との戦いに勝ちましたが、サムエルが告げた主なる神の命令に完…

神とみ言にゆだねる

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■「エペソ人への手紙」3章から。神のさまの永遠の目的。キリストの教会の実現について、その恵みの豊かさ…

神の住まい

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月報2021年2月号 【神に戒められる人は幸い】

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■「エペソ人への手紙」2章の後半から、当時の教会の構成要員であったユダヤ人と異邦人。その隔てを取り払…

教会を満たすもの

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■新約聖書マタイによる福音書の1章に記されたイエス・キリストの系図。父親の名前が列挙される系図の中に5…

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■『主はすべて倒れんとする者をささえ、すべてかがむ者を立たせられます。』 この詩篇145篇14節の御言は、…

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■新年礼拝で聞いた「テモテへの第二の手紙」4章から続いて、御言を宣べ伝える心構えと困難さについて教え…

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■詩篇113篇から118編は「讃美の詩篇」です。ユダヤの季節ごとの祭で、神殿に詣でる人々の前で歌われた、神…

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