月報2021年7月 【御言を行う人になりなさい】
『そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。』ヤコブの手紙 1章 22節
♰ 説 教 「御言(みことば)を行う人になりなさい」
ウェストミンスター小教理問答の90問は「御言葉が救いに有効になるために、それはどのように読まれ、聞かれなければなりませんか?」という問いで、その答は「御言葉が救いに有効となるために、私たちは、熱心と準備と祈りをもってそれに傾聴し、信仰と愛をもってそれを受け入れ、心に蓄え、生活の中で実践しなければなりません。」と言うものです。先月は、御言葉を語り、また聞くために「熱心と準備と祈り」を持つことの大切さを教えられました。今回は、御言葉を「信仰と愛をもって受け入れること」と「生活において実践すること」について、導かれたいと思います。
聖書におもに書かれていることは、「人が神について信じなければならないことと、神が人に求められる義務は何であるかを教えている。」とされます(同小教理問答・問3)。神の求められる「義務」を言い換えると、「愛」と言うことになります。すなわち、神への愛と隣人への愛であって、それは、道徳律法のまとめである、十戒において示されています。イエス様ご自身もそのように教えられました。つまり、聖書は「信仰と愛」を教える神の御言葉でありますから、聖書を読み、また聞く者も「信仰と愛をもって、」これを受け入れることが求められているのです。
唯一の生ける真の神を信じることは、イエス・キリストにおいて顕された、神の愛を知り、真実なる神の救いのお約束に入れられること。求められる事は、神が示された愛にならう生活なのです。ですから、信仰と愛をもって、御言葉に聞き受け入れることは、必然的に「心にたくわえ」て「生活の中で実践すること」と繋がっています。ほぼ同じ意味であることが分かります。聖書を、私たちを愛して下さって止むことのない、神様の言葉として心に刻み、その教えに従って生きようとすることの、幸いが明かされています。標記のヤコブの手紙では「御言を行う人になりなさい」と勧められています。
「御言葉を行う」と言う時、忘れてはならないことが、二点あります。まず、第一は、私たちは本来、御言葉を『行えない』という原則です。神様が命じられること、求めておられることを、私たちは、心と言葉と行いにおいて、常に完全に果たすことは出来ません。これを、唯一完全に成就されたお方が、神であり、人となられた御子イエス様です。イエス様が律法を全うされ、罪なく、傷も汚れもない、全き生贄となって、私たちを神の御怒りから免れるようにして下さいました。
このことから、第二の点が導かれます。それは、「行いによって救われるのではない」という原則です。私たちが救われ、天国での永遠の命と交わり、永遠の讃美の栄光に与るのは、ただ、御霊がもたらして下さる、イエス・キリストを信じる信仰だけです。御言葉を行うことは、そこに「祝福」が用意されているからです。同じヤコブの手紙の1章の25節では「聞いて忘れてしまう人ではなく、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。」と言っています。
御言葉を行う生活、人生を神は祝福され、聖めと慰めの内に成長させて下さいます。私たちはイエス様によって救われ、御霊によりその恵みを受け入れ、お応えしようとする心と力を与えられます。更に、私たちの不充分な行いを、父なる神は御子にあって受け入れて下さり、喜んで下さるのです。
わが国においては、信仰への無理解や、様々な誘惑、強い同調圧力の中にあって、神の御言葉に聞き従うことの困難を覚えます。しかし、天国での報いの大きさと、この世の人生に備えられた祝福を思い、励まされて、御言葉に従おうと願う心が保たれますよう、お祈り致します。 (土井 浩 牧師)