守れない誓い(2)

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守れない誓い(2)

33:また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 34:しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。35:また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。 36:また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。 37:あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。マタイによる福音書 5章 33節から37節

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「34:しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。」
マタイによる福音書5章の34節の御言であります。「誓い」「誓約」と言うことについて、イエス様が教えておられる、有名な個所でもあります。37節の「あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。」
というお言葉は、わたしも結構若いころ、謙虚な心の在り方として印象に残った記憶があります。今朝も、イエス様による律法。元々、主なる神が与えられた律法に込められた、御心の解き明かしを聞いてまいりたいと思います。
先週32節までは、当時の神の民を自認していたユダヤ人社会での男女関係。その誤った律法の解釈、適用を戒められました。それは、婚姻関係を土台に語られていました。結婚は、誓約を伴うものですから、続く33節から、イエス様は誓いについて、教え始められました。33節。
「33:また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。」
 このように、やはり「あなた方の聞いているところである」と言われましたように、当時の律法は、主なる神の教えであるとともに、実際的な法律でもありました。捧げものを捧げて、罪の贖いととりなしを願う儀式律法にだけでなく、今でいえば、憲法、民放、刑法、訴訟法にくわえ、礼儀やマナーといった生活の細部にまで及んでいました。人間的に表現すると、ある意味、文化とか、歴史的な習慣というと頃まで含められると思います。
 主なる神の選びの民として、まことの神を畏れ、信じ、またその教えを守ろうとするところは、大切なことですし、実際、ユダヤ人たちによって神様の言葉である旧約聖書は、現代まで伝えられてきました。これは、根本的には神様が恵みの契約、救いの約束を全人類にもたらすためのご計画と、摂理の御業。聖霊による守りと導きの表れであります。
それといいますのも、その選びの民で、主の守りの内にあったイスラエルにおいてでさえ、人間の罪は増幅していました。ただ、主の守りと与えられた律法において、イスラエル以外の他国。背教と不品行に陥っていた諸民族に比べて、その罪は抑制され、支えられてきたことも事実であります。繰り返す背きのゆえに、何度も主の懲らしめを受けながらも、イエス様が来てくださるまで、ユダヤの民と信仰はかろうじて守られてきたのであります。
ただし、その堕落もまた、確かな事実でありました。先ほど、文化や習慣というように申しましたが、これは人間によるものであります。主が与えて下さった教えに、人間の都合、欲望によって、伝統を理由として、様々な人間的な粉飾がなされ、解釈を変え、有名無実化して、それこそ異教徒的に、好き勝手な社会へと姿を変えていたことが分かります。そのため、イエス様がこのように、皆が聞き知っている教えを、あらためてみ心に沿って、解き明かして下さったのであります。
そこで、33節以降では「誓い」ということについて、イエス様がお語りになります。『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』という教えであります。これは、レビ19章12節の教えと、申命記23章の21節から23節の教えをまとめられています。まず、申命記を見てみましょう。旧約聖書の280頁です。申命記23章21節から。
「あなたの神、主に誓願をかける時、それを果たすことを怠ってはならない。あなたの神、主は必ずそれをあなたに求められるからである。それを怠るときは罪を得るであろう。しかし、あなたが誓願をかけないならば、罪を得ることはない。あなたが口で言ったことは守って行わなければならない。あなたが口で約束した事は、あなたの神、主にあなたが自発的にせいがんしたのだからである。」
 ここでは、主に誓い願った場合は、それを必ず果たすように、という教えが述べられます。誓ったのでなければいいけれども、誓った以上は果たさないと罪を得る。主の裁きの対象であると言われるように、誓うという行為についての厳格な命令がなされています。それで、少し目を進めますと、すぐ後の24章の、姦淫についての教えで言われた、離婚・離縁状の教えがありますね。その直前は貪りについて書かれています。
次に、レビ記を見てみましょう。旧約聖書の163頁です。レビ記19章12節。
「12:わたしの名により偽り誓って、あなたがたの神の名を汚してはならない。」
 このレビ記の教えの場所も見たいと思います。この前の18章丸ごとが、結婚と不品行について教えられています。十戒で言えば第七戒「汝姦淫するなかれ」の実際的な適用になります。主に禁止事項が示されますが、かなり具体的な近親婚とか、同性愛、獣姦。動物相手の性行為ですが、これ等の禁止です。その理由を、18章の最初で、主がモーセに説明されています。161頁の18章1節から5節をお読みいたします。
「あなたがたの住んでいたエジプトの慣習を見習ってはいけない。また、わたしがあなたがたを導きいれるカナンの国の慣習を見習ってはならない。また彼らの定めに歩いてはならない。わたしのおきてを行い、わたしの定めを守り、それに歩まなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守らなければならない。もし人が、これを行うならば、これによって生きるであろう。私は主である」
 唯一の生ける真の神を、神としない、人々の罪に満ちた慣習に見習ってはならない。主が聖であられるように、主の民も聖なる道を歩みなさい、と教えています。主の民を取り囲む国々、世界の習慣、定めは、堕落後の罪が蔓延し、じつに広く根深く地を満たしていたことが分かります。主は、例え主の民であっても、人は誘惑に弱く、周りに流され、また妥協したり、人とのいさかいを避ける名目で神に背いてしまうことをよくご存じでした。恵んでも、恵んでも、つぶやき、背きを繰り返す民を、主はまことに忍耐を重ねて導いて下さることが、よく分かります。エジプトを出た時も、荒野でも、約束の地、カナンを目の前にした時も、主は何度も重ねて、十戒を土台にした、同じ教えを伝えておられます。そして、周りを見習うな・・と言われます。
 それは、罪ある人は、実際そうなってしまうことを、ご存じであったからであります。レビ記の18章全体が第七戒ですが、19章では、残りの十戒全てについて、再度触れておられます。1節から4節は、第一戒と第二戒、それに第四戒と第五戒が命じられています。少し飛んで11節では第八戒と第九戒を少し。13節は第十戒。15,16節が第九戒、17以降は第六戒と言うことになります。
 そこで、先にお読みした19章の12節は、何かと言いますと第三戒ということになります。
「12:わたしの名により偽り誓って、あなたがたの神の名を汚してはならない。」
この教えは、先の申命記と合わせますと、第三戒の「汝の神、主の名をみだりに口にあぐべからず。主はおのれの名をみだりに口にあぐるものを罪せではおかざるべし。」という戒めと同じ内容になります。すなわち、「誓う」ということは、本来、主なる神のみ前に、主に御名によってのみ誓うべきものであって、誓った以上は果たすべき義務を負う、ということであります。元来、誓いとは主の御名によってのみされるべきものと教えられています(申命記6章13節:旧約255頁)。
 誓いについて、Van Tilは次のように説明しています。
「誓いとは、自分の陳述(話すこと、証言、約束など)が真実であることを証しするために、それを直接神のみ前に持ってくる人間の企てである・・特別に正直であらねばならない場合なら、人は自分を直接裁きの座の前において、もし真実を語らなかったならば、神が警告された刑罰が公正に自分の上に下るのを認めるのである。」
 主の御前に誓う、主に御名、により誓うのは何より、真実をまことに真実として証し得るのは、真の神のみであり、またその願いを実現されることがおできになるのも、主なる神のみだからであります。ですから、実はに本当に大切なこと。真実であること。約束や証言、ということに関しては、主の御名によってのみなされるべきもので、その他のどんな被造物や、偶像によってでもなされるべきではないと言うことであります。
 この誓うと言うことが、第三戒にかかわることは、このように神の御名によりますが。ウェストミンスターの大教理問答の122~123問で、第三戒について具体的に説明していますので、週報の裏面に記載いたしました。ご参照いただけたらと思います。
 ここでは第三戒が求めるもののキーワードは2つあります。一つは「神がご自身を知らせるためにお用いになる全ての事」お名前も、ご属性も、御業もまた同じであります。ただ神が、本当にへりくだって下さって、この低い私たちにお示し下さらなければ、私たちは、真の神様を知ることがかないません。神様の事を知らされていること自体、これはもう主なる神の愛と憐れみに満ちた、へりくだりの証拠であります。そのへりくだりの最高頂が、イエス・キリストであります。主の受肉、教え、受難、復活においてなされたことが、いかに大きな幸いであるかを覚えたいと思います。御子は御父と一体で、御子を知るものは父を知る。父を知る唯一の道、真理なる御子イエス・キリストを与えてくださっているということであります。
 もう一つのキーワードは、「清く、敬虔に」ということになります。心に、言葉に、文章に、行いおいても、主なる神様のお示しなることを「清く敬虔に」取扱い、用いる事、ということであります。大教理問答123問においては、大きく8つに分けて、禁止事項を示してくれています。これも全て聖書によるのですが、この中に、御言葉の曲解、誤用、悪用といったことが含まれていることに注目していただきたいと思います。この「御言葉の曲解」というところ、この証拠聖句に、マタイ5章の21節~48節が挙げられています。
 まさに、イエス様は律法を守っていると誇っていた,律法主義者であるパリサイ人、祭司たちに、第三戒違反を突きつけられているのであります。律法に込められた主のみ心を知らずして、守れるはずがない。それどころか、神の恵みの律法を、曲解し、粉飾して換骨奪胎しているのがあなたがたである、と断言されたわけであります。彼らが怒るのは無理もないのでありますけれども、私たちは幸いにも、律法に込められた神のみ旨を解き明かしておられるのが、その作者、すなわち神ご自身であることを教えられており、それに聞く幸いが与えられているのであります。
さて、誓いについてのイエス様の具体的な教えに聞いてまいりましょう。34節から
「34:しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。35:また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。 36:また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。 37:あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。」
 とくに、34節前半のイエス様のご命令「いっさい誓ってはならない」いうところ。ここは、歴史的にも解釈が分かれた箇所でもあります。簡単に言いますと、このご命令が無条件に近い全ての禁止なのか、条件付きなのか、という点であります。実際、かつて幾つかの教派は、この部分だけを取り出して、一切の誓約、裁判の法廷での宣誓をも拒否する、というスタンスをとっていました。教派によっては、今もそうかもしれません。
 しかし、結論から申し上げますと、そうではないと言うことであります。イエス様は、主の御前に、または御名によって誓うことを禁止されたのではない、ということが明確であります。まず、その理由ですが、大前提として、主なる神が命じられた律法は、イエス様ご自身が明言されたように、天地が滅びゆくまで、一点一画も廃ることはない、という事実であります。
 では、イエス様はここで誓うなと仰っていることはどういうことか。34節の後半では、次のように言われています。
「天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。35:また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。 36:また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。」
これは、イエス様が禁じられたのは、誓うことではなく、その方法の禁止であると言うことであります。ここにあるように、ユダヤ人たちは、主に御名を畏れ、畏み、みだらに用いない、ということは心にあったようです、それはしかし、敬虔なだけではなく、狡猾さ、ずるさがあって、そのような誓いは一切するなと言うことを仰ったわけです。彼らは、御名によらず、天を指し、地を指し、自らの頭を指して誓い、約束すると言うことをしていました。それは神の御名によって誓うことは、絶対守らなければならない。これを果たさなかったり破ることは大きな罪となる。しかし、御名を使わなければ、その限りではないとして、罪を逃れる逃げ道的な、律法を加えていたわけであります。イエス様は誤魔化し、偽善を指摘し、追及されたのであります。守りたくない、守らなくてもよい誓いのために、そのような誓いの方法を編み出してまで誓うなということであります。もし、誓うなら申命記6章で示された通り、皆によって誓う。被造物を持ち何時様なことはするなと言う意味です。
しかも、彼らは二重の勘違いもしています。被造物であれ、天は神の御座です。地は神の足台。エルサレムは聖なる都。人の頭も、人自体神のもので、そのご主権とご節理の下にあるものです。先の大教理問答によれば、それらもまた主なる神様がご自身をお示しになるためにものにすぎません。人々は都合よく罪を逃れ、律法を果たしていたつもりでも、頭隠して尻隠さずで、結局は二重に罪を犯していたことになります。誓いの軽視と、誓う方法そのものであります。しかも彼らは気づいていなかったのであります。イエス様はこれを正して行かれました。
イエス様が、ここで示された大切な点はもう一つ。
「37:あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。」
 と言われました。姑息な手を使い真摯に誓約に向き合わない律法主義者らに向けられた言葉でもありますが、同時にそれは全ての人に向けられたものであります。それは、結局、私たちは罪故に、誰も主によらなければ誓いを果たすことができないと言うことであります。
 ただ、現実には、誓約を行っていますね。機会は少ないですが、個人的にはまずは洗礼。受洗の時です。あるいは信仰告白。それから、結婚になります。社会的、公的なものでは、教会奉仕者の任職式がこれにあたります。キリスト教国では、公的な職業や、法廷での宣誓もあります。これらは、それぞれが実は召命、召しを伴います。すなわち、聖霊の御業ということになります。私たちを主の御前に招き、その誓いを成させ、果たさせるのは、私たちではなく主の御業だと言うことであります。そして誓いに伴うイエス様の御名よる祈り、主にある願いは、父がこれを聞き給うと言うことであります。
 私たちは弱く罪深いものであり、誓うに値するような何事をも為すことはでいませんけれども、イエス様にあって、御霊の導きとお働きによって、必要が満たされると言うことを覚えて、感謝と平安のうちに、信仰生活を歩んでいきたいと願います。  (以上)

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