必ず地に立たれる

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必ず地に立たれる

11 神はわたしをよこしまな者に渡し、悪人の手に投げいれられる。
12 わたしは安らかであったのに、彼はわたしを切り裂き、首を捕えて、わたしを打ち砕き、わたしを立てて的とされた。
13 その射手はわたしを囲む。彼は無慈悲にもわたしの腰を射通し、わたしの肝を地に流れ出させられる。
14 彼はわたしを打ち破って、破れに破れを加え、勇士のようにわたしに、はせかかられる。
15 わたしは荒布を膚に縫いつけ、わたしの角をちりに伏せた。
16 わたしの顔は泣いて赤くなり、わたしのまぶたには深いやみがある。
17 しかし、わたしの手には暴虐がなく、わたしの祈は清い。
18 地よ、わたしの血をおおってくれるな。わたしの叫びに、休む所を得させるな。
19 見よ、今でもわたしの証人は天にある。わたしのために保証してくれる者は高い所にある。
20 わたしの友はわたしをあざける、しかしわたしの目は神に向かって涙を注ぐ。
21 どうか彼が人のために神と弁論し、人とその友との間をさばいてくれるように。
22 数年過ぎ去れば、わたしは帰らぬ旅路に行くであろう。ヨブ記 16章11節から22節

本日は、ヨブ記に聞いて参ります。特に、ヨブがサタンの試みによって、命以外のすべてを失うと言う、困難の中で、友人との議論や、自問自答、神様への問いかけを繰り返しながら、やがて、遠くに光るキリストへと導かれていく姿。知らず知らずのうちに、キリストを予言していく様を見てまいりたいと思います。

ヨブ記はその著作年代が不明な書でもあります。一般的にはソロモンの時代と言われていますが、その原型はさらに遡って、いわゆる族長時代であるとも言われています。古代ユダヤのラビたちはそのように信じていました。千年以上開きがありますが、定かではありません。メシヤ、つまりキリストの予言が多く記されているイザヤ書の、少なくとも200年以上前、または1000年程前に書かれた、ヨブ記の中に散りばめられた、メシヤの光を追ってまいります。

 まず、ヨブと言う人と、彼が置かれた状況について見てみましょう。1章の1節から。
<1 ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。2 彼に男の子七人と女の子三人があり、3 その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった。4 そのむすこたちは、めいめい自分の日に、自分の家でふるまいを設け、その三人の姉妹をも招いて一緒に食い飲みするのを常とした。5 そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。>

 このように神を畏れ、悪を遠ざけ、家族や財産にも恵まれた、日々の行いも非常に立派な人であったと言われています。その名はよく知られていたようです。主もまたご存じでありました。ところが、この人をサタンの試みが襲います。8節からお読みします。
<8 主はサタンに言われた、「あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか」。
9 サタンは主に答えて言った、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。10 あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか。あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです。11 しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。
12 主はサタンに言われた、「見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」。サタンは主の前から出て行った。>
 こうして、サタンは主の許しを得て、その範囲でヨブを試します。そして、彼の全ての家畜が奪われ、僕たちも一部を除いて殺されてしまいます。さらに、ヨブの子供たちも、家がつぶれて全員死んでしまいます。このことを聞いたヨブは、20節。
<20 このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、21 そして言った、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。22 すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。>
 ヨブは激しい悲しみの中でも、「主が与え、主が取られた」と言う、有名な信仰告白の言葉を口にします。それ以外には、受け止めようがない、ということでもあります。しかし、サタンはさらに追いこんでいきます。2章4節から
<4 サタンは主に答えて言った、「皮には皮をもってします。人は自分の命のために、その持っているすべての物をも与えます。5 しかしいま、あなたの手を伸べて、彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。
6 主はサタンに言われた、「見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ」。
7 サタンは主の前から出て行って、ヨブを撃ち、その足の裏から頭の頂まで、いやな腫物をもって彼を悩ました。8 ヨブは陶器の破片を取り、それで自分の身をかき、灰の中にすわった。
9 時にその妻は彼に言った、「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」。10 しかしヨブは彼女に言った、「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった。>
 
 とうとう自分自身も病に侵された状況になりましたが、それでもヨブは、見かねた妻の言葉を制して、「神から幸いを受けるのだから、災いをも受けるべき>と答えました。この後、ヨブの下に三人の友人が訪れます。2章11節から13節。
<11 時に、ヨブの三人の友がこのすべての災のヨブに臨んだのを聞いて、めいめい自分の所から尋ねて来た。すなわちテマンびとエリパズ、シュヒびとビルダデ、ナアマびとゾパルである。彼らはヨブをいたわり、慰めようとして、たがいに約束してきたのである。12 彼らは目をあげて遠方から見たが、彼のヨブであることを認めがたいほどであったので、声をあげて泣き、めいめい自分の上着を裂き、天に向かって、ちりをうちあげ、自分たちの頭の上にまき散らした。13 こうして七日七夜、彼と共に地に座していて、ひと言も彼に話しかける者がなかった。彼の苦しみの非常に大きいのを見たからである。>
 友人たちが来た目的は、ヨブを「慰めるため」でした。しかし、ヨブのあまりにも悲惨な姿、苦しむ様に、声をかけられないまま、1週間を過ごすことになります。そして、とうとうヨブが口を開きました。3章1節から6節。
<1 この後、ヨブは口を開いて、自分の生れた日をのろった。2 すなわちヨブは言った、3 「わたしの生れた日は滅びうせよ。『男の子が、胎にやどった』と言った夜もそのようになれ。4 その日は暗くなるように。神が上からこれを顧みられないように。光がこれを照さないように。5 やみと暗黒がこれを取りもどすように。雲が、その上にとどまるように。日を暗くする者が、これを脅かすように。6 その夜は、暗やみが、これを捕えるように。年の日のうちに加わらないように。月の数にもはいらないように。> 10~11節<10 これは、わたしの母の胎の戸を閉じず、また悩みをわたしの目に隠さなかったからである。11 なにゆえ、わたしは胎から出て、死ななかったのか。腹から出たとき息が絶えなかったのか。>
 3章全体は、ヨブの嘆きとなっています。こんな目に合うのなら、自分はなぜ生まれてきたのか。まだ生きていないといけない理由は何なのか、生れなかったほうが平安だったのではないか、という嘆きでありました。ヨブの受けた苦しみからすれば、ある意味、当然の嘆きであり、正直な思いであったのでしょう。思われます。実際、このようなことは、今でもあり得ると思います。私たちは、どのように答えていくべきでしょうか。主に祈り、御霊にすがるしかないように感じます。
 
 しかし、ここでヨブの嘆きの言葉を聞いた友人達がヨブに語り掛けていきます。最初はテマンびとエリパズでした。4章3節から8節。
<3 見よ、あなたは多くの人を教えさとし、衰えた手を強くした。4 あなたの言葉はつまずく者をたすけ起し、かよわいひざを強くした。5 ところが今、この事があなたに臨むと、あなたは耐え得ない。この事があなたに触れると、あなたはおじ惑う。6 あなたが神を恐れていることは、あなたのよりどころではないか。あなたの道の全きことは、あなたの望みではないか。7 考えてみよ、だれが罪のないのに、滅ぼされた者があるか。どこに正しい者で、断ち滅ぼされた者があるか。8 わたしの見た所によれば、不義を耕し、害悪をまく者は、それを刈り取っている。>
続いて、二人目はシュヒ人ビルダデです。所8章2節から。705頁。
<2 「いつまであなたは、そのような事を言うのか。あなたの口の言葉は荒い風ではないか。3 神は公義を曲げられるであろうか。全能者は正義を曲げられるであろうか。4 あなたの子たちが彼に罪を犯したので、彼らをそのとがの手に渡されたのだ。5 あなたがもし神に求め、全能者に祈るならば、6 あなたがもし清く、正しくあるならば、彼は必ずあなたのために立って、あなたの正しいすみかを栄えさせられる。>
少し飛んで706頁 20節以降
<20 見よ、神は全き人を捨てられない。また悪を行う者の手を支持されない。21 彼は笑いをもってあなたの口を満たし、喜びの声をもってあなたのくちびるを満たされる。22 あなたを憎む者は恥を着せられ、悪しき者の天幕はなくなる。>
 友人達は、慰めに来たはずでした。そして、彼らが語る内容自体は、おおむね正しいことです。全能者なるまことの神への畏れを正しく理解しているようです。しかし、彼らの言葉は、よく聞いてみると、裁く言葉になっています。なぜなら、その根底には、自己義認があるからだと言えます。正しい行いによって、義とされるというより、自分たちは義であるという自己評価があります。実は、それはヨブにも同じことが言えます。当時のイスラエルの信仰と、主の祝福、恵みへの認識がそのようなものであったと言うことです。まだ、完全に、原罪による全的堕落ということと、救い主、メシヤへの目が開かれていない、と言うことであります
 
 そこで、ヨブが友人達に答えます。9章1節から4節。
<1 ヨブは答えて言った、2 「まことにわたしは、その事のそのとおりであることを知っている。しかし人はどうして神の前に正しくありえようか。3 よし彼と争おうとしても、千に一つも答えることができない。4 彼は心賢く、力強くあられる。だれが彼にむかい、おのれをかたくなにして、栄えた者があるか。>
 友人達が言っていること。つまり、主の大いなることは正しい、自分も当然知っている、と「答えています。そして14節から16節
<14 どうしてわたしは彼に答え、言葉を選んで、彼と議論することができよう。15 たといわたしは正しくても答えることができない。わたしを責められる者にあわれみを請わなければならない。16 たといわたしが呼ばわり、彼がわたしに答えられても、わたしの声に耳を傾けられたとは信じない。>
 彼とは、神様のことです。その大いなることが分かるから「自分が正しいとしても」主には口答えできない、と言っています。主への認識、主を畏れていますが、「わたしが正しくても」という意識に変わりはないです。ただ、主に訴えたいという強い願いに対し、御霊によって少しずつヨブの中に悟りへの光をもたらされはじめます。9章32節
<32 神はわたしのように人ではないゆえ、わたしは彼に答えることができない。われわれは共にさばきに臨むことができない。33 われわれの間には、われわれふたりの上に手を置くべき仲裁者がない。>
「われわれ」というのは、神様とヨブのことです。両者の仲裁をするのであれば、その立場、権威は両者より同等以上である必要があります。しかし、主なる神様の上に立つものは誰もいない。だから仲裁者がいない、ということになります。ヨブはこのことを思い、嘆いているわけです。この思いは、その先に、神との仲裁者なる方は、結局神ご自身でなければならないことが秘められていますが、まだヨブははっきり気づいていません。

 今度は3人目の友人、ナアマ人のゾパルが諭そうとします。709頁、11章6節後半から。
<それであなたは知るがよい、神はあなたの罪よりも軽くあなたを罰せられることを。7 あなたは神の深い事を窮めることができるか。全能者の限界を窮めることができるか。8 それは天よりも高い、あなたは何をなしうるか。それは陰府よりも深い、あなたは何を知りうるか。9 その量は地よりも長く、海よりも広い。
 やはり、ここでもゾパルの言っていることは、別に間違っていないです、ほぼ正しい。ただ、それをもって、慰めではなく裁いています。正しさを、この世的な結果で判断するところはかわっていません。それは、ヨブにも共通するところです。
 ですから、ヨブも答えていきます。13章1節から5節。
<1 見よ、わたしの目は、これをことごとく見た。わたしの耳はこれを聞いて悟った。2 あなたがたの知っている事は、わたしも知っている。わたしはあなたがたに劣らない。3 しかしわたしは全能者に物を言おう、わたしは神と論ずることを望む。4 あなたがたは偽りをもってうわべを繕う者、皆、無用の医師だ。5 どうか、あなたがたは全く沈黙するように。>
 友人たちが語るようなことは、当然ヨブ自身も分かっている。充分わきまえて、悟っている。だから、もう人ではなく、主と直接語りたいのだ、問いかけたいというわけです。その問いかけの根底に、自分は御前に悪を避け、正しく生きてきたという、自負がどうしてもあります。それが22、23節に語られます。
<22 そしてお呼びください、わたしは答えます。わたしに物を言わせて、あなたご自身、わたしにお答えください。23 わたしのよこしまと、わたしの罪がどれほどあるか。わたしのとがと 罪とをわたしに知らせてください。>
 災いは罪による、という認識から、自分の罪がどこにあるのか、主ご自身から聞きたい、というある意味、高慢な態度とも言えます。しかしそれほどに切羽詰まったものでもありました。
 
 ヨブの主への問いかけを聞いていた、テリパズが更に責めます15章を抜粋してお読みします
「6あなたは神を恐れることを捨て、神の前に祈る事をやめている。」 「20 悪しき人は一生の間、もだえ苦しむ。残酷な人には年の数が定められている。21 その耳には恐ろしい音が聞え、繁栄の時にも滅ぼす者が彼に臨む。」「34 神を信じない者のやからは子なく、まいないによる天幕は火で焼き滅ぼされるからだ。35 彼らは害悪をはらみ、不義を生み、その腹は偽りをつくる」
ヨブは、友人たちの言葉に業を煮やし、怒っています。16章では
<2 あなたがたは皆人を慰めようとして、かえって人を煩わす者だ。」> <4 わたしもあなたがたのように語ることができる。もしあなたがたがわたしと代ったなら、わたしはあなたがたを攻めことができる。逆に、あなたがたを強くし、くちびるの慰めをもって、あなたがたの苦しみを和らげることができる。> とまで、言い返しています。そして、得られない友人の理解、変わらない、救われない災いと苦しみ、逆らうことも語ることもできない主に、どのように自分の正しさを明かせばよいのか、評価してもらえるのかを真剣に主に問いかけ、悩みます。そしてそのうちに、その言葉の中に、少しずつ鮮明になってくるものがありました。16章の19節

 <19 見よ、今でもわたしの証人は天にある。わたしのために保証してくれる者は高い所にある。20 わたしの友はわたしをあざける、しかしわたしの目は神に向かって涙を注ぐ。21 どうか彼が人のために神と弁論し、人とその友との間をさばいてくれるように。>
 先に、9章の時点で仲裁者がいない、と嘆いていまし、しかし、今、わたしの証人は天にいます。今、いらっしゃるという確信です。そしてその方が、私のために神にとりなして下さい、主張して下さい、また自分をあざける友人との間も取り持ってくださいという願いにいたりました。さらに、17章の3節
<3 どうか、あなた自ら保証となられるように。ほかにだれがわたしのために保証となってくれる者があろうか。>
 結局、主に対して保証して下さるのは、主ご自身しかいないという真理であります。ですからそれを願っています。

 そして、とうとう19章で次のように語ります。
<25 わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。26 わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう。27 しかもわたしの味方として見るであろう。わたしの見る者はこれ以外のものではない。わたしの心はこれを望んでこがれる。>
 この天におられる、仲裁者、贖い主、保証人であられる方。そして神であられる方が、やがて必ず地上に立たれる、という予言であります。ここに、ヨブがまだ意識していない、救い主。天より下り、人となって地上に立たれた神の御子、イエス・キリストのお姿が表されてくることになりました。耐え難い試練と、困難の中で、御霊に導かれて、かろうじて見える希望の光でありました。
 この後、ヨブはさらに行ったり来たりします。自分の潔白、義を主張してやめない、と断言しつつ、真の知恵、悟りはどこにあるのか。その道は人には知り得ない、と語ったりしています。しかし、イエス様ご降誕の1000年あるいは1700年以上前の話であります。試練の人ヨブの苦しみと、回復の物語には、遥かそのかなたに、やがてこられる救い主、キリストを示す確かな光がしるされておりました。
(以上)

2021年度 メッセージ一覧

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月報 2021年10月【キリストは誰のためにご自身を捧げられたか】

 

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イエスは甦って、

■十字架刑によって絶命されたイエスは墓に葬られ、大きな石で封がされました。しかし、日曜の朝、番人が見…

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キリストを埋葬する

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