月報 2021年11月【誰が神の愛をさまたげ得るか】
『わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力ある ものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエス における、神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。』ローマ人への手紙 8章 38節から39節
◆ローマ人への手紙8章は、このパウロの手紙クライマックスとも言えます。多くの註解者がこの章に様々な見出しをつけています。「律法は恩恵によって超克される」や「キリストの勝利」とされます。8章最後の数節は「勝利の歌」「キリスト者の凱歌」とも呼ばれます。ある神学者は「聖書を指輪とすればロマ書はその宝石であり、第8章はその宝石の輝く先端である」とまで讃えています。これは少々極端な表現ではありますが、この御言葉は、それ程にクリスチャンを励まし、救いの確信と希望へと導く、力強い御言葉です。
何が力強いか。“神の愛“が強いのです。それも”キリスト・イエスにおける“、”私たちに対する“神の愛です。キリストにおける神の愛が、無限に強大で、一切誰も、どのような出来事、物事も、私たちを愛する神の愛を妨げることは出来ない、と述べています。直前の34節から36節で、クリスチャンは、迫害、暴力、飢え、患難、危険に常に見舞われますが、「私たちを愛して下さった方」即ち神様ご自身によって、すべての事において、圧倒的な勝利者にされていると言います。そして、死と命(人間を支配する原理)。また、善い霊的な存在としての天使、悪しき存在としての支配者。天のものも、黄泉のものも。現在と将来という時間をも超え、全てに勝って神の恩恵、キリストの愛が完全で、救いが確実であることが、高らかに宣言されているのです。どんな被造物も、ということは、私達自身もその恩恵を妨げること、離れることが適わないということを意味します。これが改革派の教理で「不可抗的恩恵」(Irresistible Grace)と呼ばれるものです。
カルヴァン主義はその教理体系の中で、5つの明確な教理を強調しています。これはカルヴァン主義の5特質として次のように表現されています。
1.【全的無能力(堕落)】(Total Inability)、 2.【無条件的選び】(Unconditional Election)、
3.【限定的(制限的)贖罪】(Limited Atonement)、 4.【不可抗的恩恵】(Irresistible Grace)、
5.【聖徒の堅忍(保持)】(Perseverance of the Saints)。
この5つは聖書から丹念に導き出された教えで、独立したバラバラの存在ではなく、一つが真理であれば、必然的に他も真理であるように、深く繋がっています。それぞれの頭文字を並べ、「T-U-L-I-P」(チューリップ)と覚えられています。今年の8月から10月の月報では最初の3つについて述べて参りました。
今回は4つ目の「不可抗的恩恵」ということです。「不可抗的」とは、抵抗することが出来ないという意味ですが、逆に言えば、神の恩恵は「完全に有効」だという意味になります。そこで、積極面を前面に出して、「有効的(または奏功的)恩恵」(Efficacious Grace)と呼ぶことを好む人もあります。どちらも同じ教理です。キリストの民に選ばれた者、神が救おうとされた者への招きは、100%有効に行われ、誰もこれを断ることができません。ウェストミンスター信仰規準では「有効召命」(Effectually Calling)として教えられています。「不可抗的」というと、強制的で、嫌がっても無理やりに、という誤ったイメージを持たれ易いようです。しかし、神様が私達に聖霊を送って下さることで、私達は、逆に自由にされるのです。自由に喜んで、主の招きを受け入れてキリストを信じ、主を愛し、従おうとするように導いて下さるのです。
なぜなら、聖霊によって再生する前の人間は、本当の自由を持たないからです。つまり、人は全く自由に、善悪を平等に判断し選べる能力が失われています。人は神を憎み、無視し、背を向けて罪を愛し、悪を好みます。自由に罪を犯しますが、神の恩恵、招きなしに、神を愛し、キリストを信じる自由を持っていないのです。神様は自覚すらしない罪人に愛を注いで、招いて下さいます。故に恩恵なのです。そして、キリストにある、この神の恩恵を妨げるものは、どこにも、後にも先にも存在しないという事実を覚えることで、感謝と安心のうちに、信仰生活を歩む力を与えられるのです◆