キリストを埋葬する

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キリストを埋葬する

『27:57; 夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人がきた。彼もまたイエスの弟子であった。 58:この人がピラトの所へ行って、イエスのからだの引取りかたを願った。そこで、ピラトはそれを渡すように命じた。 59:ヨセフは死体を受け取って、きれいな亜麻布に包み、 60:岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入口に大きい石をころがしておいて、帰った。 61:マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓にむかってそこにすわっていた。』マタイによる福音書 27章 57節から61節

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57: 夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人がきた。彼もまたイエスの弟子であった。 58:この人がピラトの所へ行って、イエスのからだの引取りかたを願った。そこで、ピラトはそれを渡すように命じた。」


マタイによる福音書27章の御言です。ここに、十字架にかかられた、イエス・キリストの埋葬の次第が描かれております。来週は、このイエス様の甦り。復活を記念するイースターです。その前のこの一週は「受難週」と呼ばれております。真の神、救い主イエス・キリストが、私たちキリストの民の救いのために、自ら引き受けて下さった苦難。忍ばれた、迫害、裏切り、あざけり、辱め、暴力。そして十字架における死を迎えられます。これは、まさに預言の成就であり、救いの御業、父なる神のご計画であり、み心でありました。それでも、十字架を前にしたその前夜、イエス様がゲッセマネで祈られた際には、血のような汗を流されました。しかも、ルカ伝によれば、天からの御使いがきて力づけられます。それでも、なお苦しみ悶えながら、せつに祈られた、と記されています。苦しみながらも「み心が成るように」との祈り。そして十字架へと向かわれたイエス様。その、完全なる従順と、忍ばれた苦痛、苦難に思い巡らせたいと思います。今朝は、このキリストの埋葬のみ言葉に聞いてまいりたいと思います。


 この埋葬の状況については、4つの福音書全てに記録されています。それほど重要な出来事であることが分かります。イエス様が、その肉体において、完全なる死を迎えられて、そして墓に葬られたと言う、歴史的な事実。それを明らかにしています。マタイによる福音書はその中では一番簡潔に描かれています。人物についてはルカ伝、出来事の細かな経緯についてはヨハネ伝がより詳しく教えています。4つの福音書では、細かな部分では微妙な違いがあります。登場人物の名前の有無や、細かな順序、描写等です。しかし、それを調整したり、照らし合わせるのではなく、そのままに聖書として、神の言葉として表されていることをまず、覚えたいと思います。


 それぞれの違いは、視点や強調点の違い。そして何より、イエス様の十字架の死と言う、一大事を目にした、弟子たちの動揺というものを考えましたら、当然のことであります。正にこの一大事ということについていえば、人類にとっての一大事であります。人類の歴史、そして聖書全体の中心であり頂上が、このイエス様の十字架の死と、葬り、そして復活と言うところにあるのですから。また、まだ聖霊による悟りを得ていなかった弟子たちの混乱と動揺は、当たり前であったと言えます。


 その中で、共通していることは、より重要な、大切な真実として明らかにされていることだと言うことができると思います。そこを聞いてまいりましょう。


 一つは、イエス様の亡骸の引き取り手、アリマタヤのヨセフと言う人について。もう一つはイエス様が亡くなられたということ。その死の確実さということについてであります。


 57節、58節をお読みいたしますと。


57: 夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人がきた。彼もまたイエスの弟子であった。 58:この人がピラトの所へ行って、イエスのからだの引取りかたを願った。そこで、ピラトはそれを渡すように命じた。


 ここで、十字架にかかられたイエス様のご遺体を引き取り、葬りたいとして、アリマタヤのヨセフと言う人が現れます。この人はお金持ちで、イエス様の弟子であった。マルコ伝ではこの人のことを、1543節の後半(80頁)で


「彼は地位の高い議員であって、彼自身、神の国を待ち望んでいる人であった。」


と言っています。またルカ伝2350~51節(132頁)では


ヨセフという議員がいたが、善良で正しい人であった。この人はユダヤの町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた。彼は議会の議決や行動には賛成していなかった。」


と、このように説明しています。この議会と言うのは「サンヘドリン」といわれるもので、ローマ帝国支配下にあった、ユダヤ人の最高裁判権を持った、宗教的また政治的自治組織でありました。構成員は、祭司や法学者、パリサイ派の人たち70名程による、権威ある議会でした。ローマに対する民族の窓口を果たしています。


 まとめますと、子のヨセフと言う人は「ユダヤの最高法院の議員で、金持ちで、神の国を待ち望んでいた、善良で正しい、イエス様の弟子」ということになります。こう聞くと、何かすごいですね、この世的に言うと理想的と言うか、こんな人がイエス様の弟子にいたんだ、という意外な気も致します。しかし、このように地位も力も財産もある善良なアリマタヤのヨセフなのに、ここまで福音書に登場してこないんです。もっと活躍してもいいのに、と思ってしまいます。しかし、その理由はヨハネ伝のヨセフの説明で明らかにされています。そこをお読みいたします。ヨハネ伝1938節(175頁)


「そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに願い出た。」


 「ユダヤ人をはばかって、ひそかに」つまり、彼はイエスの弟子を自認していた、信じてはいたのですが、公にはしていなかったということが分かります。もしかしたら、仲間内の一部では知られていたかもしれません。あるいは、完全に隠し通していたのかもしれません。そこは明らかにされてはいません。ヨハネ伝のこの続きの39節では、ヨセフにはあの、ニコデモも一緒についていったことが記されています。この人もパリサイ派で、ユダヤ人の指導者でもありました。しかし、ニコデモはヨハネ3章の1節で、イエス様にイエス様が神から来られた教師であると告白し、新生についての教えを受けています。同じく7章の50節以降で、祭司長たちにイエス様を捕まえなかったことを責められて、律法をたてに反論していました。正論なのですが、祭司長らは話をそらしてごまかしています。ここで、3回目の登場と言うことになります。恐らく、アリマタヤのヨセフに比べてニコデモのほうが、位が低い、下役の対場であったのでしょう。ですから、祭司長達に率直にものを言えたのでしょう。


 逆に、ヨセフについていえば、非常に資産家で、その立場も高かったため、あえて隠れた信者であったといえます。本来であれば、堂々とイエス様の弟子であることを証し、弟子としての働きを成したならば、その賜物ゆえに、主の御用に、どれほどの助けになったでしょうか。最高議会の議員の立場であれば、伝道においても協力で有益な働きがなせたはずだと思われます。しかし彼は、裕福であるがゆえに、その地上の富があるゆえに、信仰を告白しなかった。また、ユダヤ人として高い地位にあったがゆえに、地位を追われることを恐れ信仰を隠し、地位を守ろうとしていたと言えます。この世の富と権力が、幸いにも与えられた信仰を抑えつけ、公然とイエス様に従う、近づいて、足跡をたどる生活、人生を妨げていたと言うことであります。


 このヨセフの、この世での賜物に心をとらわれていた姿。心に証しされた信仰を隠していた姿から、私たちは警告を受けなければなりません。この世の賜物は、確かに、この世の必要のために備えられ与えられたものですから、それをこの世のために、自分や家族に生かすことを主は禁じられません。しかし、それによって本来果たすべき主の御用、信仰生活を妨げるということであれば、これはまことに残念で、もったいない、惜しいことであります。これは、結局主の与えたもうた賜物を、自分だけのものとして、主の栄光を表すことに用いないという、自分の罪であるということを覚えたいと思います。頂いた賜物は主から、一人一人に賜ったもので、その本当の活かし方は、どう用いて主の栄光を表すか、というところにあるわけであります。そこに、本当の個性、自由。幸せと言うものが備えられます。いかに主の近くにあるか、近づくかということであります。移ろいやすく、空しく、また厳しい罪のこの世にあって、神様こそが、キリストにあって主が共にいて下さることこそが、私たち人の幸いなんだと言うことを、御言から教えられなければなりません。それは、叶うならば早ければ早いほど幸いであり、恵まれることです。


 ただしそれは、ただただ神の一方的な恩寵であること。早くから信仰を与えられた者も、神様から最も遠いと思われるような人も、共通していることが二つあります。それはどちらも罪人であり、どちらも神の形であるということです。後のものが先になることも教えらえます、これは常に覚えなければなりません。これを心に刻んでおらなければ、キリストの教会も、かつてのユダヤ人のようになってしまう、そのような自らを誇る罪と弱さを、私たちは常に抱えているのであります。


しかし、このヨセフがニコデモのように、直接イエス様に触れ、他の弟子たちのように、主に教えられ、交わりのうちに用いられていたならどうであったかを思うと、惜しい限りです。仲介者は彼のことを「この世の栄えのために、いかほどの霊的損失をしていたであろうか」と言っています。私たちは彼のような、この世的な賜物に恵まれているわけではありませんが、主が必要な賜物を一人一人にふさわしく備えて下さっています。この世は一時で、それぞれに与えられた時間には限りがあり、気が付けば一週間が過ぎ、ひと月、一年が去っていきます。ですから、一日も早く主の弟子となり、与えられた賜物が主の祝福にかなって用いられますように。隠れていたヨセフの姿に教えらえながら、祈りたいと思います。


 さて、そのように隠れていたヨセフもついに表に現れます。資産や地位ゆえに、信仰を隠していたヨセフを主がお用いになりました。真に心にキリストを信じるならば、真実に救い主を求めるならば、隠れておっても、主はお用いになるのであります。マルコ伝1543節の前半(80頁)


「アリマタヤのヨセフが大胆にもピラトの所へ行き、イエスのからだの引取りかたを願った。」


ここで、大胆にもと言う言葉は「勇気を出して」と言う意味です。それまで、公にしなかった自らの立場を、ピラトの下に出向いて明らかにします。地位を追われるかもしれない、資産を損なうかもしれない。それでも、今まではなかった勇気をもって、ヨセフはピラトの下に向かいます。さらに、ヨセフはこの世の賜物を主のために用います。各福音書を読みましたら、彼は、まだ誰も葬られたことのない新しい墓を用意します。ヨハネ伝では「彼の」と書かれており、ヨハネが墓を買い取ったか造ったことが分かります。そして、高価な新しい亜麻布をあつらえ、さらに、イエス様の体に塗る香料を用意しました。没薬と沈香を百斤、今でいうと約33キログラムもあったようです。大金を使い、主のために、自分が出来ることを精一杯務めようとしたことが伺えます。


今まで、ユダヤ人にはばかって密かに、その信仰を隠していたヨセフに、ここまで大胆に、勇気ある行動に駆り立てたのはなんだったのでしょうか。それこそ、主なるイエス・キリストが死なれたということ。それも十字架の死であったと言うことです。善良で正しく、神の国を待ち望んでいたと言われるヨセフ。イエス様のご生涯における様ざまな教え、聖書の解き明かし、そして霊に満ちた力ある御業を知って、この方こそ、と信じていた方の十字架の死。それを見て、心を隠し、抑えきることができず、地位や資産や、あるいは命の危険と言ったこの世の打算を捨てて、ピラトの前に、ご遺体の引き取りを申し出たのであります。多くの人に嘲られ、罵られ、ツバをかけられ、衣服をはぎ取られ、十字架に死なれたイエス・キリスト。私たちが、このイエス様の十字架を仰ぎ見る時。その苦難と苦しみが、私たちの贖いの為に、私たちの代わりにイエス様が、全ての苦しみを引き受けて下さったことを思い知ります。その信仰によって、私たちは一切の困難や、誘惑に立ち向かう勇気と大胆さを与えられ、信仰生活を歩む力とされるのであります。


また、このイエス様の死に際して、イエス様の最も身近にいた弟子たちは、近づくことができずにいました。近すぎる関係故の危険ということもあったでしょう。イエス様がヨセフによって葬られた後、ピラトは弟子たちによって遺体が奪われないよう、兵卒に見張らせています。その意味で、隠れた信者であって、社会的身分もあったアリマタヤのヨセフを用いられたこともまた、主のご摂理であったと言うことができます。


ヨハネ伝の1931節からお読みいたします。


19:31さてユダヤ人たちは、その日が準備の日であったので、安息日に死体を十字架の上に残しておくまいと、(特にその安息日は大事な日であったから)、ピラトに願って、足を折った上で、死体を取りおろすことにした。 32そこで兵卒らがきて、イエスと一緒に十字架につけられた初めの者と、もうひとりの者との足を折った33しかし、彼らがイエスのところにきた時、イエスはもう死んでおられたのを見て、その足を折ることはしなかった。 34しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た。 35それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたがたも信ずるようになるためである。 36これらのことが起ったのは、「その骨はくだかれないであろう」との聖書の言葉が、成就するためである。 37また聖書のほかのところに、「彼らは自分が刺し通した者を見るであろう」とある。」


  ヨセフが引き取りを申し出る前に、イエス様を十字架にかけたユダヤ人達が、申命記の2122節に定められた律法に従って、十字架から遺体を下すことを願い出ていました。足を折ると言うのは、とどめを刺すと言うことです。十字架刑は、痛みと出血で、苦しみながら徐々に死に至らせる残酷な、思い刑でありましたから、下すべき時に息があった場合は、脛を打ち砕いて、死に至らせていたようです。しかし、ここにあるように、イエス様は既に絶命されていました。そのため足を折られなかったのですが、それ自体、預言の成就であると明かされています。「骨を折らない」という決まりは、過ぎ越しの祭の捧げものに関する律法です。また、詩篇34篇で、正しい者は主がその骨をことごとく守られる。と書かれています。イエス様は、最終の生贄として、全き正しい人。完全な義人として捧げられた生け贄であることが証されたのであります。さらに槍で刺し通したものを見るというのは、ゼカリヤ書1210節に書かれた、ダビデ家及びエルサレムに対する主の言葉のことであります。


 このように、聖書の予言通りに主は、その命を落とされ、肉体は塵になるべく墓に葬られました。そして、その魂。肉体の死の後、イエス様の魂は、父の御下に帰ることなく、復活の日まで、黄泉に下られ、父との交わりを断たれたのであります。肉体の死以上の苦難である、魂の断絶。しかし、イエス様のその苦痛故に、私たちはやがて召されてのち、全く聖くされ、ただちに天の栄光にいれていただけるのであります。


 今朝は、このイエス様の苦難と、イエス様を葬ったヨセフのこの世の豊かさ故の弱さと、その弱き信仰のものをも、お用いになる主のご計画とご摂理を覚えて、来るイースターまでの慰めとされますよう、主のお導きを祈ります。 (以上)

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